第8話 ヨシオの冒険

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     2  ぴったりと、ついてきていた。  対面の黒シャツ。昨年の暮れ以来、何度か同卓している。係の者が、白井と呼んでいた。名前は白井だが、着ているものはいつも黒い。  池袋で月に一度開催される、ホテルの大広間を貸し切っての対局。300万の参加費で、トップは900万、2着は行って来いの300万。すでに、勝負は最終戦のオーラスを迎えている。総合得点はアンナがリードしてはいるが、3900点の直撃で変わる差の、大接戦だ。  7巡目、白井から先制リーチがかかった。次巡、アンナもドラの八筒を引き入れ、テンパイした。3b97835b-d126-49d2-8e93-f6d0d5e31553  白井の河に、六索が切られている。筋である三索を切って、四面待ちで追っかけ。そう思ったのは一瞬で、アンナは九索切りダマを選択した。三索四索待ちのタンヤオドラ1。下家が筋を追って三索を切ってくれることを願ったが、アンナに合わせ九索を切ってきた。  白井の一発目。牌山に手を伸ばした白井の口の端が、かすかに上がった。 「ツモ」  白井の手牌の脇に置かれたのは、一索だ。 5a5b2d42-5992-4ed9-96f4-02187f1e177d  裏ドラは乗らなかったが、跳満ツモで逆転だ。ギャラリーから歓声があがる。白井に賭けていた者だろう。三索切りリーチとしていれば、一発で放銃だったし、結局捲られていた。六索切りリーチを打っていれば、下家が三索を切った可能性がなくもない。だが、勝負はもう終わっている。  息をついて、アンナは席を立った。係の者から、300万を受け取る。今回はチャラだ。  ホテルを出たところで、呼び止められた。白井だ。 「黒崎さん、よかったら少し付き合わないか?」 「奢りなら、いいぜ」 「もちろんだ、と言っても俺は酒が飲めない。コーヒーでいいか? 近くに喫煙できる店がある」  頷いて、アンナは白井のあとについて行った。喫茶店に入ると、白井はブレンドを、アンナはキリマンジャロを頼んだ。 「ようやく、黒崎さんに勝てたよ」  パーラメントに火をつけ、白井が言った。 「アンナでいいよ。名字で呼ばれるのは、あまり好きじゃない。ま、今日はやられたよ」 「実力で勝ったとは、言えないけどな。なんとか一矢報いたってところか」  アンナもアメスピに火をつけ、コーヒーをひと口飲んだ。キリマンジャロは苦みが少なくすっきりとした味のはずだが、やけに苦味を感じる。淹れ方が悪いのか、あるいは勝てなかったからか。 「ところで、最近福尾さんを見かけないけど、アンナさんなにか知ってる?」 「福尾さん、最近はあまり高レートやってないみたいだからね。新宿の『幻龍』くらいじゃないかな」 「『幻龍』か。噂でしか知らないが、紹介制なんだって?」 「ああ。アタシはハヤさん――早田さんに紹介してもらったよ」 「ほんとかよ。もしかして、矢野さんとも知り合い?」 「矢野っちね。二人とも、ダチみたいなもんだよ」 「やっぱあんた、すげえんだな。ジュクの早田、そして矢野。都内の雀ゴロでこの二人を知らないやつはいないからな。最近は、アンナさんの話も耳に入ってくるな。話題の存在、ってやつだ」 「ハハッ。よかったら、『幻龍』紹介しようか。アタシに勝ったって、ハヤさんと矢野っちに言ってやりなよ」 「いやいや、俺なんかじゃとても無理だ。いつか腕を試したい気はするが、アンナさんたちの前じゃ、霞んじまうよ」 「ま、その気になったら、いつでも言ってよ」  アンナはカップに口をつけた。キリマンジャロは、やはり苦い。なにを飲んでも、今日は同じように感じるだろう。  一時間ほどで、店を出た。コーヒー代は白井が出してくれた。  池袋駅で白井と別れ、アンナは西武池袋線に乗った。気づけば、18時を回っている。  そろそろ、酒が飲みたくなってきた。苦い酒でもいい。  アンナはスマホを取り出し、ヨシオにメッセージを送った。  🀄  パソコンで『雀々娘』をプレイしていると、スマホが鳴った。アンナからのメッセージだ。  福尾と別れたあと、ヨシオはまっすぐ帰宅した。福尾の著書である『麻雀・押し引きの指南書』を読み返したのち、実践していたところだ。マウスをクリックしながら、アンナに返信した。  半荘の結果は、なんとかこらえて3着だった。『雀々娘』に限らず、ネット麻雀はラスのペナルティが大きい。フリー雀荘ならチップで浮くということもあるが、ネット麻雀ではそうはいかない。トップを取ることよりも、ラスを引かないことが肝心だ。  新所沢駅でアンナと合流し、居酒屋へ入った。  乾杯したのち、ヨシオは今日の出来事を話した。 「なるほどな。まあ、いい経験だったんじゃねえの。以前なら、ピン雀にひとりで入るなんて、できなかっただろ。充分、成長してるさ」 「そ、そうですかね」 「麻雀に関しちゃ、もっとレベルアップして、リベンジしねえとな」 「そうですね。あとは、バイトも頑張らないと。さすがにきついです」 「そんなヨシオに、いい話がある」  ビールを飲み干すと、アンナはバッグからスポーツ新聞を取り出した。明日は東京競馬場で、天皇賞(秋)が行われる。 「そんな気がしてました……」  苦笑しながら、ヨシオは箸を置いた。スポーツ紙を手に取り、馬柱に目を通していく。記者の予想は、気にしない。  天候も、重要なファクターだ。天気予報によると、雨は降らないようだ。明日のレースは秋晴れの空の下、良馬場で行われるだろう。  アンナが焼酎を注文するのを聞きながら、ヨシオは本命馬を決めた。      第8話 ヨシオの冒険 完
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