第1話 アンナとヨシオ

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     2  歩道で、ヨシオは大きく息を吐いた。 (ハァ……初めての雀荘、すごく緊張したな。3回やって、3回ラス。祝儀なんてものもあるし、低レートでも、すぐに1万円以上負けちゃうんだな……。バイトも早く探さないと……) 25486346-5ed6-4b1a-92ef-3def08ccc4c5  気分を落ち着かせるため、何度か深呼吸していると、不意に肩を叩かれた。 「よっ! お疲れさん」  驚いてふりむくと、金髪ショートの女の子がいた。 「あ、雀荘にいた……」 「黒崎アンナだ、よろしくな」 「み、水嶋ヨシオ、です……」  陰キャで女子に免疫のないヨシオは、緊張していた。しかも、金髪に革ジャン、ダメージデニムのショートパンツという格好は、いかにもギャルというか、ヤンキーを思わせる。男女問わず、不良っぽい人間は苦手だ。かつてイジメを受けていたことを、嫌でも思い出してしまう。 「いきなりだけどさ、いまから飲み行かない?」  予期せぬ誘いに、ヨシオは動揺した。 「えっ……いや、僕未成年だし、お金もないし……」 「アタシの奢り! コーラでも飲みなって」 「いや……でも……」 「せっかく、女の子の方から誘ってるんだぞ~」  ヨシオにとって、女子から誘われるなんて、19年の人生で初めてだ。なぜ彼女――黒崎アンナは、ヒョロガリで陰キャな自分を誘うのか。もしかして、奢りと偽ってぼったくり店に連れこもうとしているのか。それなら納得がいく。きっと、いいカモに見えるだろう。  改めて、黒崎アンナの顔を見た。白に近い金髪のショートヘア。目には力があって、キラキラと輝いてる。かなり整った顔立ちだ。目が合った。とっさに視線を下にそらすと、豊満な胸が視界に飛びこんできた。顔が熱い。赤面しているのかもしれない。心臓も高鳴っている。 「ま、無理にとは言わないけどさ」  黒崎アンナは変わらず、ほほえんでいる。 「い、行きます!」  今日、勇気を出して初めて雀荘に行った。もう少し、勇気を出してみよう。こんなにかわいい女の子に声をかけられるなんて、もう一生ないかもしれない。 「そうこなくちゃな。すぐそこでいいだろ?」 「あ、はい」  アンナに言われるがまま、すぐ近くの居酒屋に入った。17時を回ったばかりで、ほかに客はいなかった。  カウンター席に並んで座り、アンナはビール、ヨシオはウーロン茶を頼んだ。 「かんぱ~い!」 「か、乾杯!」  アンナは豪快にビールをひと息で飲み干すと、次は黒霧島という芋焼酎のロックを注文した。フードも、次々と頼んでいく。  アンナは、とにかくよく飲むし、よく食べた。アンナがたくさん食べているので、ヨシオも遠慮せずに食べた。  雀荘に行ってからのすべてが、人生初めての経験だ。なぜアンナが自分に声をかけたかはわからないが、大学に進学して、一人暮らしを始めてよかった、とヨシオは心から思った。緊張も、しだいに解けてきた。 「ふ~ん、ヨシオ君は来週から大学生なんだ」  えいひれを口に放りこみながら、アンナが言った。 「はい、小手指の近くに部屋を借りたんですが、今日は、新所沢周辺を見て回ってたんです」 「で、初めて入ったフリーでこてんぱんにされたってわけだ」 「リアルで打つのは初めてで……事前にいろいろ調べたつもりでしたが、緊張しました……」 「なるほどね。そういや、最後対面に満貫打った局だけどさ」  アンナがお客様アンケートと書かれた用紙とボールペンを手に取り、すらすらと何かを書きはじめた。 「こんな形のイーシャンテンになったよな」  三五六七七八④⑤⑥24赤5白 ツモ2 ドラ八 「あ、はい」  紙に書かれたのは、最後の局の牌姿だ。実際に対局していた自分でも忘れそうなものを、よく覚えているな、とヨシオは思った。 「マンズに注目。いわゆる両面カンチャンの形だ。ここで三萬ではなく白を切っておけば、次巡引いた四萬で満貫テンパイだった」 「はい……」 「リーチ判断はともかく、基本形や牌効率は確実に覚えとけよ。それができてから、フリーで打った方がいい。いまのままじゃ、やるたびに負けちまうぞ」 「は、はい……」  ヨシオは驚くと同時に、アンナに対する尊敬の念を抱いた。不良っぽい外見だが、麻雀に対してはとても真面目だ。 「すいませ~ん、黒霧ロックおかわり!」  ただ、飲みっぷりも含めあまり女の子っぽくはないな、とも思った。  🀄  2時間ほどで、店を出た。  代金は、アンナが全部出してくれた。ヨシオも出そうとしたが、強く止められたので、素直にご馳走になった。 「なあ、ヨシオんち、榎木町って言ってたよな。途中まで一緒に帰ろうぜ。公団抜けてくと、近道だ」  いつの間にか呼び捨てになっていたが、悪い気はしなかった。それだけ、打ち解けて話した。これだけ女の子と話したのも、二人で居酒屋に行ったのも、初めてだ。 (もしかして、これってデートでは……) 「なにニヤついてんだ、行くぞ」 「あっ、すいません」  アンナの後に続いて歩いた。かなり飲んでいたが、アンナの足取りはしっかりしている。10分ほどで、アンナが住んでいるという賃貸マンションに着いた。 「寄ってくか?」 「いや~、さすがにそれは……」 「あれ? もしかしてなにか期待しちゃってる?」 「か、からかわないでください」 「ごめんごめん、じゃあな。いつでも連絡くれよな」 「はい、おやすみなさい」  アンナと別れ、歩き出した。ここから小手指方面に数分歩くと、自宅のマンションに着く。 (黒崎アンナさんか……。ちょっと強引だけど、いい人だな……かわいいし、連絡先も交換したし。でもなかなか連絡は……麻雀の質問だったら大丈夫かな。帰ったら、『雀々娘』やろうっと。もっと麻雀の勉強して、上達したいなあ) 「おい」  上機嫌で歩いていると、不意に声をかけられた。男の声だ。  ふりむくと、いきなり顔を殴られた。メガネが、アスファルトに音を立てて落ちた。 「てめえ、どういうつもりだ! なんでアンナと飲んでんだよ!」  街灯に照らされた男の顔には、見覚えがあった。雀荘で、対面にいた男だ。なぜ、と思うと同時に、腹を殴られた。息が詰まり、前かがみになったところに、下から拳が来る。顎を殴られ、意識が飛びかけた。アスファルトに倒れると、蹴りが来た。もろに鳩尾(みぞおち)に入り、ヨシオは胃の中のものを吐き出した。  全身を、続けざまに蹴られた。大学生になれば人生も変わる。そう思っていたが、結局なにも変わらないのかもしれない。  これまでそうしてきたように、ヨシオはただ耐えるしかなかった。
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