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百夜参りの噂(1)
「……ま、みーやーま!」
自分を呼ぶ声がした。
最初は遠かった声が、だんだん近づいてくる。
ああ、うるさい。
「るっさ……」
「あーもう、昼休憩終わるよ!」
「んあ……?」
休憩が終わる。
その一言で、反射的に起きなければ、と目が覚めてしまう。
まだ寝てたいのに、と思いながらのそのそと起き上がると、そこはよく見慣れた自室ではなかった。
ここは、そう。
職場の仮眠室。
「…………いま何時!?」
「十二時五十四分。まったく、五十分には起こせって自分で言ったんだから、さっさと起きなよ」
紺色のスーツに青と水色のストライプのネクタイを爽やかに着こなすイケメン、俺の同期の九重幻奇は事態を把握して慌て出した俺にため息をついた。
「わり、寝過ぎた……」
「シャンとしなよ。午後からも仕事あるんだから」
「わかってる。あー、ねむ……」
「今日やけにぼーっとしてるねぇ。なにかあったのかい?」
衣服を整えて廊下に出ると、後ろから着いてきた九重が顔を覗き込んできた。
「今日っつか、だいぶ前からなんだけど、なんか忘れてる気がするんだよな……」
「忘れ物でもした? でも君、もう昼飯は食っただろう。弁当忘れて娘に持ってきてもらうなんてシチュエーションは所詮夢物語だよ。諦めな、独身」
「わかってるよ……もう俺も三十路だしな。今更身を固めるより、仕事に生きる方がよっぽど楽だ」
「リアルが充実してれば、恋愛なんてしなくてもリア充ってね」
俺の周りの同世代はもうほとんどが家庭を持ち、子供がいる奴も多い。そんな奴らに置いていかれる、なんて考えるよりは、自分には自分に合った生き方があると考えたほうがよほど楽だ。仕事のやりがいを感じられるようになってきて、立ち回りも上手くなって、仕事の楽しみはこれからなのだから。決して、家庭持ちどもを妬んで言っている訳では無い。そう、決してだ。
午後も仕事を頑張るか、と改めて意気込んで自分のデスクにつくと、あ、と隣に座った九重が声を発した。
「どうした? 仕事よりやりがいがあることでも思い出したか?」
「うーん、あってもここじゃ言わないねぇ。そうじゃなくてさ」
そう言いながらぐい、と俺の耳元に近づくイケメンに少し驚きながら、何かを言おうとしているのだと気づいて俺も少し九重に近づいた。
「『百夜参り』って、知ってるかい?」
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