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百夜参りの正体
「あ、ああ……こまち、小町……!」
「久しぶり、草太」
「なんで、おれ……こまち、なんでっ……俺が、忘れて……」
蘇った記憶の量と、大切なものを忘れてしまっていた恐怖に混乱したまま、よたよたと小町に近づいた。
どうして、こんなに大切な人を忘れていたのだろう。
どうして、彼女を一人で死なせて、俺は彼女の全てを忘れてのうのうと生きていられたのだろう。
「すまない、小町……おれ、おれはっ……!」
「いいんだよ。人は、心を守るために記憶を失うんだ。草太が心を壊してしまうくらいなら、記憶を失ってでもちゃんと生きてほしかったから」
「やだ、嫌だ……小町を忘れて生きるなんてっ……」
泣きながら、彼女を抱きしめようと伸ばした腕は、その華奢な肩をすり抜けてしまった。
抱きしめたい、温もりを感じたい。しかしそれは、二年も前に奪われてしまったもの。
「失ったものを取り戻した途端絶望する。これだから人間は興味深い」
後ろから、声がした。それは、俺がよく知る声。
振り返る俺の視界に映ったのは、整った男の顔。
いつものスーツや普段着とは違う高そうな着物を着ているが、間違いない。
それは、九重幻奇だった。
「九重、なんで……!」
「何故、か。それは、僕がこの神社の神様だからだよ」
「は……?」
突然意味のわからないことを言い出した同僚を睨みつける。そんな戯言に付き合っている暇は、こちらは無いのだ。
「ああ、信じていないのかい? なら彼女を消してしまえば、信じてもらえるかな」
九重がそう言った途端、小町の存在が少しずつ薄れていく。
また、会えなくなってしまう。消えて、俺を置いて行ってしまう。
「やめろ! わかった、信じるから……」
「それでいいよ。さて、感動の再会を邪魔してすまないが、こちらもやることがあってね」
九重はそう言いながら、元に戻った小町の隣に立ち俺をまっすぐに見つめた。その瞳は赤く、爛々と輝いていて、常人のそれではない。呑まれてしまいそうなほど美しく、引き込まれる瞳をしていた。
「最初にこの神社に来た時、君には百夜参りの語源は丑の刻参りと百夜通いだと話したね。あれは、本当は違うんだ」
「は……?」
「本当の語源は、御百度参りにある。祈願の方法の一つで、その名の通り同じ神社に百度参拝することだよ。つまり、君は願いを叶える権利がある。さあ、願いを聞かせてごらん」
九重のその言葉に、熱に浮かされたかのように俺は心にある願いを言葉に紡いでいく。
「殺して、くれ……俺を殺して、その代わりに、小町を生き返らせてくれ……!」
「なっ、だめだよ草太! 死なないで、生きて!」
「俺は小町を忘れてのうのうと生きていたんだ! こんなことは許されちゃいけない!」
「嫌だよ! お願いします、神様。草太を殺さないで……!」
俺の願いと小町の願い、平行線を辿るそれらが九重に向けられる。
「ああ、いいよ。深山草太くん、君の願いを叶えよう」
「そんな!」
小町の悲鳴が響く。
しかし、その時にはもう俺の視界は暗く閉ざされていた。
「草太、草太!」
小町の声だけが、聞こえる。
ありがとう、九重。いや、神様。
「しかし……一度に二つも願いを叶えてもらおうなんて、人間風情が贅沢が過ぎるというもの。叶える願いは、ただ一つ」
そんな神様の声を最後に、俺の意識は途切れた。
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