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 狭い車内に熱を与えてくれていた温風が止まった。エンジンの音が消えると、狂ったように渦を巻く外の暴風が聴覚を埋めた。 「大丈夫だ……寛翔」  僕を励ます父さんの声が、掠れている。寒さと恐怖。俯くと、防寒服を履いた膝頭が震えていた。モコモコのソールを敷いているのに、長靴の中が冷たい。 「はい、そうです。ええ、避難所に向かう途中で……雪山に突っ込んでしまって」  スマホに向かって説明する父さんの横顔が青ざめて見えるのは、自分の怯えのせいだろうか。フロントガラスは一面、微かに青味を帯びた雪に覆い尽くされ、左右の窓も青白い。涙を堪えられたのは、雪の中が想像よりも明るかったからだろう。 「はい……はい、お願いします」  眉間にシワを寄せた険しい表情のまま、父さんはスマホを下ろした。冷静に話していたように見えたが、通話が終わると、グッと唇を真一文字に結んだ。酷く腹を立てた時の表情だ。 「寛翔。少し待つけれど、必ず助けに来てくれるからな」  父さんは、かさついた唇の間から歯を覗かせた。吐く息が歯よりも真っ白だ。 「ほ、本当?」 「ああ、大丈夫……大丈夫……」  返る語尾が揺れた。咄嗟に父さんの手に触れると、体温はほとんど分からない。自分の手も氷のように冷えていて感覚が鈍っているけれど、そんな手が肌に触れても動じないなんて。大柄な父さんの身体は、僕より速く熱を失っているに違いない。 「やだ……父さん、確りして」 「なんだ、大丈夫だぞぉ……」  ほとんど身動きすることもなく、紫色の唇がゆっくりと閉じる。  怖い。怖い。怖い。周囲の状況が改善する兆しは見当たらない。むしろ悲観が強くなる。左右のドアミラーは疾うに雪の中。フォードアセダンの前ドアは刻一刻と雪に(うず)もれていくし、後部の窓にも吹き付ける雪が容赦なく張り付いていく。今すぐドアの外に飛び出して、走り出したい気分だ。  ――ドン!  その時、リアガラスになにかが衝突した。  ドン! ドン! ドン!  繰り返される衝突音は、やがて後部の窓に移り――赤い影が朧気に見えた。 「父さん、助けが来た!!」 「……ぁあ」  反応が鈍い。僕はシートベルトを外し、シートを後ろに倒した。手も足も上手く動かなくてもどかしかったけれど、ヒタヒタと迫る死の恐怖から逃れるように、シートを這い上がり、後部ドアのロックを外した。 「大丈夫ですか?!」  ドアが開かれ、雪まみれの真っ赤なダウンコートの男性が1人、現れた。片手に、オレンジ色の除雪シャベルを持っている。 「と、父さんが……!!」 「出られますか?!」 「俺は……――息子を、たの、む……」 「いやだ!! 父さんっ!」 「すぐに応援を寄こします! それまで、これを!」  男の人は、懐から取り出したカイロを2つ、父さんの手に握らせた。1度大きく湯気が広がったが、すぐに勢いは削がれてしまった。それでも、父さんは少し頰を緩めた。 「寛翔、行け……」 「君、来るんだ!」 「いやだぁ!! 父さんっ、父さんっ!!」  両脇に腕を差し込まれ、確りと抱え込まれた僕は、車内に父さんを残して、真っ白な世界に引きずり出された。礫に似た塊が、勢いよく叩きつけてくる。目を細めれば、睫毛が凍る。寒風で、肌が切られるように痛い。 「避難所は、すぐそこだから……頑張って」  男の人は、僕に何度も励ましの声をかけ、時に膝丈の雪をシャベルで掻きながら、吹雪の中を進んだ。前後左右、ただただ真っ白。凍えた手足の指先が強く縛られたように痛い。それも徐々に薄れて、感覚が眠る。 「立ち止まっちゃダメだ! 頑張れ!!」  男の人が抱き締めてくれる。その声も、どこか遠い。酷く疲れて、眠くて……眠くて。閉じた瞼の内側も、白い光に包まれていた。
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