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『どんでん返し部』部長の山岸は短く切ったばかりの頭を抱えながら悩んでいた。
数週間後に自身の生活環境が大きく変わるほか、胸に秘めた気持ちを伝えたい相手がおり、どのように伝えればよいか分からなかった。
山岸は部室で気楽に本を読んでいるように見える、南に声を掛けることにした。
「南二年生」
「はい?」
南は睨んでいた小説から顔を上げた。
「実は折り入って相談がある」
「部長が私に相談なんて、珍しいですね」
「ある人に自分の気持ちを伝えたいのだ」
「あら、まあ、ほんとですか?」
南は驚きの表情を見せた。それもそのはずであった。どんでん返し部部長の山岸は真面目を絵に描いたような人物で、これまで浮ついた話はなかったし、色恋沙汰には全く興味がないものだと思っていた。
南は小説をわきによけると、髪を後ろで結んで聞く態勢になった。
「実はその人は今度の卒業式で卒業して、遠くの大学に行ってしまう。その前に、どうしても気持ちを伝えたいと思うのだ」
「なるほど、部長も一応人間だったんですね」
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味ですが……」
「まあいい、それより、南二年生は、思いを伝えるのにいい方法を知らないだろうか」
「部長にひとつ問いたいんですが、私たちは何部ですか?」
「それは、『どんでん返し部』だろう」
「じゃあ決まってるじゃないですか、どんでん返しでその相手に思いを伝えるんですよ」
南は山岸に艶めかしい笑みを見せた。
山岸と南が通う県立館之山高等学校は、偏差値は中の上程度で、立地条件も特に都会でも田舎でもない場所に建つ、特色と言えば他の高校よりも海外の大学に進学する生徒が多くそれに合わせたカリキュラムを用意しているくらいのなんの変哲もない高校だったが、一つだけ変わったところがあった。
それはとにかく部活動の種類が多いことだ。
週三回以上の活動さえ行えば、部員一名から部として設立することが可能であり、顧問も不要である。予算は全部活動で等分されるほか、部室やグラウンドの使用に関しては基本的にくじで決まるため、部活動の数は日本一を誇った。
その分、サッカー部や野球部といったメジャーな部活動は軒並み成績が低かったが、競技人口の少ないマイナースポーツにおいては数々の賞を受賞し、一部界隈では強豪校として有名であった。
そんな館之山高校において、特にマイナーで特殊な部活のひとつが、この『どんでん返し部』だった。
どんでん返しの定義は難しいが、物語の途中や終盤でそれまでの内容や形勢、立場がひっくり返って逆転すること、と言えば伝わるだろうか。
館之山高校には、文芸全般については文芸クラブがあり、読書については読書部があり、さらに細分化したミステリー研究部もあったが、どんでん返し部はそのうち更に細分化した、どんでん返しという一ジャンルに焦点を絞って活動する部活だった。
部長の山岸が部を創設する際に、「ミステリー研究部ではだめなのか」と生徒会から当然の疑問をぶつけられたのだが、そもそもどんでん返しはミステリー小説に限って出てくるものではなく、ミステリー以外の文芸小説のほか、映画や漫画、もっと言えば日常生活の中にもどんでん返しを起こそうと思えば可能であるため、雑にまとめてもらっては困るというのが山岸の主張だった。
かくして山岸と一年遅れで部に加入した南によって、『どんでん返し部』の活動は活発さを増していった。
『葉桜の季節に君を思うということ』や『殺戮に至る病』、『十角館殺人事件』をといった小説を読んでは議論を行い、『シックスセンス』や『ユージュアル・サスペクツ』、『アヒルと鴨のコインロッカー』といった映画を見てはまた議論を行った。
どんでん返しのある作品が新しく出れば互いに情報共有を図り、ときには実生活の中においても、チャンスがあれば互いをどんでん返しの渦中に陥れた。
そんな部活動に所属する部員において、どんでん返しを用いて告白を行うというのは、至極当然の思考と言えた。
「それで、具体的にどうやるんだ。小説や映画と違って、日常生活の中でのどんでん返しは難易度が高いのは南二年生も知っているだろう」
「その南二年生って呼び方、やめてくださいっていつも言ってるでしょう」
「別にいいではないか、実際二年生なのだから。それはそうと、どんでん返しはどのようにやろうと考えているのだ?」
日常生活におけるどんでん返しは、南が好んでよく山岸に仕掛けているのだが、やはり仕込みが難しく、大体なにか狙っているというのは途中で気付かれてしまったり、思ったようなインパクトを与えられなかったりすることも多いのだった。
例えば、先日、南から「姉を紹介するから」と誘われ、山岸が理由も分からず南の家に上がると、そこには十一、二歳くらいの男の子がおり、「姉です」と名乗った。
「びっくりしました? 実はこの子、名字が『姉』さんっていうんですよ」
叙述トリックと呼ばれるどんでん返しの一種ではあったが、山岸からすればだからなんだという話だった。どんでん返しにはやはり伏線が重要なのだった。
山岸と南は、南がネットで探したという姉さんに丁重にご挨拶して帰ってもらった。今にして思えばはた迷惑な部活である。
そのような南であったが、「どんでん返しの内容については、私に考えがあります」と自信がありそうな様子で言うので、山岸は全てを任せることにした。
数日後、南が持参した計画書を一目見た山岸は、再び頭を抱えた。
「南二年生、本気でこれをやるというのか?」
「お言葉ですが、これは私が真剣に考え抜いた末の結論です」
「……ならばなにも言うまい」
山岸は南が用意したどんでん返しのプランに乗ることにした。
山岸が誰に告白したいか伝えなかったからか、特に南がその相手に興味を持っていないのか、計画書の中では、山岸が思いを届けたい相手は“A”とされていた。
計画の概要はこうだ
まず、卒業式が終わると同時に、山岸は“A”を部室に呼び出す。当然、卒業式の日に呼び出された“A”は告白されるかもしれないと思うだろう(伏線1)。
だが、ここで山岸は“A”の期待を裏切り、こう言うのだ。「この手紙を“B”に渡してもらえないでしょうか」、と。ここで“A”は山岸が本当に好きなのは“B”だったのか、と思うだろう(伏線2(伏線1を裏切る小どんでん返し))。
そして、その手紙を“B”に渡すと、そこにはこう書いてある。「“A”に伝えてください。山岸が本当に好きなのは、“A”であり、もし同じ気持ちなら、どんでん返し部の部室まで来てほしい」、と(伏線2をさらに裏切る大どんでん返し)。
信じられないほど迷惑な告白方法だが、まあある意味で“A”の期待を二度裏切るどんでん返しといえるだろう。そのインパクトは大きいはずだ。
山岸は南の考えた告白方法に賭けることにした。
その日から、山岸は自身の引っ越しの準備でバタついていたことも重なり、あっという間に近づいてくる
卒業式のことを考えると気が気ではなかった。“A”と会話する機会は何度かあったが、まともに目を見て話すことができなかった。
“A”とこうして会話できるのもあと数日と考えると、山岸の胸は痛んだ。しかし、もし告白に成功して、晴れてカップルになることができれば、遠距離恋愛になるとはいえ、毎日電話やメールをすることができるし、時には会いに行くこともできるだろう。
山岸は柄にもなく枕に顔を埋める夜を過ごし、ついに卒業式の日がやってきた。愛する人との別れと告白——山岸にとっては二つの意味で、特別な一日だった。
卒業式自体は小規模で行われた。卒業式が終わると同時に、山岸は“A”に対してラインでメッセージを送った。
『渡したいものがあります、どんでん返し部部室まで来てもらえないでしょうか』
送信すると、すぐに“既読”と表示された。
山岸は心臓が鐘のように鳴っているのを感じながら、部室で“A”が訪れるのを待った。
“A”が来るまでの間、山岸は落ち着かずに、部室内をうろうろと歩き回った。部室前で足音がするたびに、今か今かと待ち構えた。そしてついに部室の扉が開かれた。
入ってきたのは“A”だった。“A”は照れたように顔を真っ赤にして、言った。
「なに、渡したいものって?」
「今日は卒業おめでとうございます。これまで長い間、本当にお世話になりました。あなたがいなくなると、本当に寂しくなります」
「うん、私も、君と会えなくなるのは寂しいよ」
「それで、今日は、実は……」なかなか山岸の次の言葉は出てこなかった。だが、せっかく南が考えてくれた計画を無駄にするわけにはいかなかった。覚悟を決めて、山岸は言った。
「この手紙を、下駄箱にいる、あなたもよく知っている人に渡してほしいんです」
山岸は白い封筒に入れた、一通の手紙を差し出した。
「え、あ、わ、わ、分かったよ」
“A”は手紙を受け取ると、下を向いてそそくさと部室から出て行ってしまった。
“A”は今、なにを思っているのだろうか。山岸は想像しかけて、止めた。問題なのは今、なにを思っているかではない。これからどのような決断をしてくれるかだ。
できることは、ここでじっと待つだけだった。“B”には事前に話をして協力してもらうよう頼んである。“B”が読んだ手紙の内容を聞いて、“A”が部室に戻ってきてくれるか、それだけがすべてだった。
山岸の額に汗が滲んだ。いつも過ごしている部室のはずなのにまるで落ち着かなかった。山岸は両手を組んで、その扉が開くときを待った。
その祈りが通じたのか、部室の扉は開かれた。そこにいたのは――
「南二年生……」
「部長、前から言ってると思うけど、私のこと本名で呼ぶのやめてもらっていいかな?」
その日、館之山高校を卒業した、“A”こと“南二年生という名の青年”は、“一つ年下でどんでん返し部部長の山岸詩織”に向かって肩をすくめてみせた。
「思えば、どんでん返し部の活動も長かったよね」南は部室から窓の外を見て、しみじみと言った。「私たち以外、誰も部室に来ないのに、いつ誰かが来てもいいように、いろんなどんでん返しを仕込んだよね」
「そうですね、性別誤認トリックとか、年齢誤認トリックとか、いつかどんでん返しに使えそうなネタは大体準備しましたね」
「そうそう、男性の私が少し髪を伸ばして一人称を『私』にしてみたり、女性の山岸さんが髪を短く切ってみたり、わざと年上の私が山岸さんに敬語を使って、年下の山岸さんが私にため口で話したり。
もう卒業して退部したから、普通の話し方に戻したけどね。今にして思えば、“私たちのことを小説にでもしない限り”ほとんど無意味なことだったかもしれないけど、それでも、そういったことを考えるたり実行したりしているときは、私――僕にとってはかけがえのない楽しい時間だったと思うよ」
「私にとっても同じです」
山岸の目には涙が浮かんでいた。その時間が終わってしまったと思うと胸が苦しくて、張り裂けそうだった。
「南先輩は、ひょっとして、私が思いを寄せる相手が自分だって、ラインのメッセージが来る前から気づいていたんじゃないですか? 個人的には、実は“A”と南先輩は同一人物だという人物誤認トリックを使ったどんでん返しを進めていたつもりなんですが……」
「最初からだよ」
「え?」
「君が思いを寄せる人がいると最初に相談を受けたときから気づいていた。なぜなら今日館之山高校を卒業したのは、僕だけだからだ」
館之山高校は、これといった特徴のない高校ではあったが、部活動の種類が多いことと、海外の大学に進学する生徒が多くそれに合わせたカリキュラムを用意されているという意味では珍しい高校と言えた。
入学時期が九月になることが多い海外の大学に合わせて、館之山高校は、日本では珍しくクオーター制を採用していた。一年間を二期に分け、それをさらに半分にしたクオーターごとに集中して授業を行うため、海外の大学へ進学するものなどは、三年目の一期目二クオーターが終わった九月に卒業し、タイムロスなく海外の大学に入学することができた。
アメリカの大学へ進学する南は、二年半で高校三年間のうちに学習すべき授業を受け終えてしまい、一週間後には海外へと旅立ってしまうのだった。
「それにしても、“B”が姉くんとは恐れ入ったよ」
南はさも愉快そうに笑った。姉くんには迷惑をかけるが、なんとなく、自分が書いた手紙を読んでもらうのは、姉くんがいいと思っていた。
「私が手紙を渡したときに、照れていたのは演技ですか?」
「まさか。あんな雰囲気には慣れてないし、自分が作ったプランでも、実際に直面すればやっぱり気が動転するものさ」
南は言い終えると、場に沈黙が訪れた。空気が変わり、話が本題に入ることを二人は同時に察知した。
「それで、部室に戻ってきてくれたということは、返事は――」
山岸はほとんど泣きながら言った。
「僕が部室に戻ってきた。それが全ての答えだ」
南は号泣する山岸の手を取り、きつく握った。部室の入り口では姉がその光景を見つめ、彼もまた涙をこらえることができなかった。
一週間後の九月中旬、南二年生と山岸詩織は空港にいた。
一週間前と同じように、二人は固く握手を交わしていた。
「私がいなくなった後も、どんでん返し部のことを頼んだぞ」
南の言葉を聞き、山岸は目に涙を浮かべて言った。
「元々部長は私ですけどね、それでも、元部員南二年生に恥じない活動を続けますよ」
うんうん、と、こちらも涙を浮かべて、南は満足そうに頷いた。
「それじゃあ、私はこれからアメリカへ経つ。山岸部長、これまで世話になった。これから距離は離れてしまうが、恋人として、密に連絡を取り合い、互いに成長していこうじゃないか」
「はい! あ、そろそろ僕が乗る便も出るみたいですね。じゃあ先輩、少し席が離れますけど、飛行機の中では連絡は取れませんからね。ラインを送るなら向こうに着いてからにしてください。まあ、すぐ近くにいるんで普通に話せばいいんですけど」
「………………え?」
よく見ると、山岸は飛行機のチケットらしきものを手に持っていた。見送りにしてはやけに荷物が多いなと、南は不思議に思っていたところだった。
「やだなあ、言ってませんでしたっけ? 私も九月から半年間、アメリカに留学だって。あ、偶然にも先輩の大学の近くにある高校みたいですね」
やられた――。南は己の浅慮さを恥じた。
自分に告白させるためのプランを練って山岸を掌の上で転がしていたと思ったら、全ては彼女の書いたどんでん返しの筋書きの上で遊ばされていたというわけだ。それにしても……南には、一つどうしても気になることがあった。
「ところで山岸さんさ、もし仮に、僕が君をフッていたらどうするつもりだったの?」
南の問いかけに、山岸は悪戯っぽい表情で答えた。
「さすがにそんなどんでん返しは起きるはずがありません」
二人は手を取り合って搭乗口へと向かった。物語にとってどんでん返しには適切な数があり、今がまさにそうであると、二人は考えているところだった。
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