むかしばなし

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むかしばなし

 いつも通りに今日分のタスクを消化して会社を出ると、 同じく仕事を終わらせたらしい三伏が後ろから駆け寄ってきた。 駅まで一緒に行きましょう、と誘われて、並んで歩く。  ハロウィン本番がいよいよ明日に近づき、街はオレンジや黒、紫色といったお祭り色で彩られていた。  三伏が入社してから間もなく半年が経つ。 新入社員だったこいつは、 私の拙い指導に付いてこられただろうか。 彼にとって私は良い先輩でいられただろうか。 この半年、 私はそればかりが気掛かりだった。 「なあ三伏」 私は隣を歩く彼に呼びかける。 「何ですか?」  三伏は人好きのする笑顔で答える。 私はこの柔らかい表情をする顔をつくづく犬っぽいと思っていた。 「明日でお前が本配属されて半年になるな」 「ああ、そう言われれば確かに。 よく覚えていますね、 半年って早いです」    うんうん、と感慨深そうに頷きながら言う。 「先輩にはこの半年、お世話になりっぱなしでしたね」 「それは別に構わないよ。 私の役目だからね」     三伏は首を傾げる。 「そういえば前から思ってたんですけど、 何で先輩は僕の教育係になったんですか? 指名制じゃなかったんですよね。 他の先輩たちに訊いても 『あれは氷雨が立候補した』って言うんですよ」 「何で、て。 それは......」  少し言葉に詰まる。 胸のあたりが重たくなり、 つい目線を外してしまった。 この話をして、三伏に見限られないか心配になったからだ。 「...... 先輩?」  考え込む私の顔を不思議そうに見る. 「別に、 大した理由じゃない。 ただ私自身がどれだけの能力をもっているのかを確かめたかっただけなんだ。 だが......」  歯切れが悪い私の言葉を促すように、「本当の理由は違ったんですか?」と三代は問うた。 「そうだな。 結局それはただの大義名分、 私にとって体のいい口実だった。 三伏、 私には人を教育する資格が無かったんだよ」  そんなことないですよ、とでも言うのかと思ったが、彼は黙って耳を傾けていた。こいつは人の話を聞きだすことには長けている。 変なところで相槌を打たないので、つい話してしまうのだ。 「高校の頃、 陸上部のパート練習中に後輩に大怪我をさせてしまったんだ。 怪我の理由は明白。 パート長である私がそいつの実力に合わないレベルのメニューを作っていたからだ。 結局、その後輩は怪我がシーズンまでに完治せずに退部してしまった」  ……そのあと 「何故しっかり教えることが出来なかったのか」という疑問と後悔だけを残し、 私は部活を引退した。 ひどい話だ。 私は愚かにも三伏にその後輩を重ねていたのだ。 「結局、 私は今になっても変えられない過去の罪滅ぼしのつもりで、 お前の教育係になったのかもしれない」  とうとう言ってしまった。今まで誰にも言わずにいたことを言ってしまった。私は酷い先輩だと思う。 がっかりさせたただろうか。   下がっていた目線を上げると、それでも三伏はまっすぐ私を見ていた。 「すまんな、 恰好悪くて」 「かっこ悪くなんかないですよ」  三伏は微笑む。 まるで小さい子を大人が諭すように。 「先輩が何を言いたいのかは大体わかります。 でも、俺にとっての先輩は仕事が出来て後輩思いで猫が好きで、 我が道を真っ直ぐ歩いている人です。 言い方は悪いですが、 過去の先輩のことなんか僕は知らないです。 先輩も元陸上選手ならわかっているはずでしょう? 試合は結果が全てなんです。 そりゃあ勿論過程も大事なのかもしれませんが、 過程が評価されるのは良い結果を出してこそですから」 「・・・・・ああ」  全くだ、と思う. こいつがこんな考えを持っているとは驚きだ。 「結果はどうです? 僕は先輩のおかげで、半年のうちにここまで仕事が出来るようになりました。 これは変えることのできない結果で、 先輩の実力ですよ」    照れくさそうに三代は頭を掻く。 「そうかな」 「そうですよ。 というか、先輩自身がいつも言ってるじゃないですか。 『成長に失敗は不可欠だ。失敗しない事ばかり考える奴は成長できない』 って。僕をここまで成長させてくれた先輩がいるのは、その失敗があったからなのかもしれません」 「はは。 まさかお前から自分の言葉を返されるなんてな」  成長したな。 最初は左右がわからなさそうにキョロキョロしていたのに、今ではそんな姿が見る影もない。  そろそろ過去の自分に別れを告げる時期か。 痛みにも似た、冷たい記憶が溶けるように、 胸のあたりが温かくなった。 「そういうことですよ。 だから僕は、僕の先輩が氷雨懍で良かったと思います」 「おいおい、あんまり恥ずかしいことを言うなよ。 お前も言っているうちに先輩になるんだからな」 「その時は頑張ります」  三伏は、はにかみながらそう言った。  いつの間にか明るかった空は藍色に染まっていた。 再び肩を並べ、駅に向かって歩き出す。 淡いネオンが道を彩る。 「明日のイベント、絶対に成功させましょうね!」  三伏はそう言って、改札を通って行った。小走りで反対の路線に向かう背中を見送る。  まだ私もやっていけそうだな、とあの犬っぽい笑顔を思い浮かべてそう思った。
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