2

2/2

18人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 私の言葉を聞いても、チーフは黙ってコーヒーを啜っている。目線が「続けて?」と促していた。 「彼氏、とかがいたことはあったんですけど。良い人でした。優しくて。告白されて付き合って、1年くらい一緒にいました」  うん、とチーフは黙ったまま頷く。 「でも、恋愛的に好きになれなかった。付き合った人みんな。人間としては好きだったんですけど」  ごくりと唾を飲み込んだ。意を決して言葉を吐く。 「性的なこととか、そういうのが全くできなかったんです。スキンシップも無理で」  俯いて、缶に話しかけるように言葉を溢す。 「……変な話ですけど、男性だからだめなのかと思って、女性ともこう……そういう関係になってみたこともあるんです。でも、できなかった」  話してから急に恥ずかしくなった。親しいわけでもないチーフに、どうしてこんなことを話しているのだろう。きっとクリスマスのせいだ。特別な日だと強調されているからだ。 「……だから、恋人がいてその人と過ごすのが当たり前、って風潮が苦手なのは、私もわかります……」  無理矢理にそう締め括る。チーフも私にこんなことを言われたって困るだけだろう。  今まで、2人の人に同じ話をしたことがあった。付き合った男性と、付き合った女性。  女性は「まだ本気で好きな人に会ってないだけだって」と言い、男性は「なにそれ、変なの。ていうかきもい」と言い放った。チーフもそうだったらどうしよう。話してからじわじわと後悔が押し寄せてきた。 「すみません、こんな話されても気持ち悪いですよね。ごめんなさい」  はは、と自虐的に笑ってつま先を見つめた。ずっと履いているパンプスの先は、擦れて汚れていた。  チーフの顔を見ることもできず、「コーヒー、ありがとうございます」と頭を下げて立ち上がる。 「中山さんのことを全て理解することは誰にもできないけどさ」  逃げ出そうとする私の気分を見透かしたように、落ち着いた声が背中に飛んできた。私は恐る恐る振り向いて、もう一度椅子に座り直す。  チーフは安心させるように、私に微笑んだ。大丈夫だよ、と言うように。 「気持ち悪い、って、誰かに言われたの?」  小首を傾げてチーフは問う。はいそうです、と答えるのも憚られて、私も曖昧に首を小さく傾げた。 「人の価値観はそれぞれだけどさ」  そこでこくん、と一口コーヒーを飲んでチーフは口を開く。 「自分の『普通』を押しつけてこられるのは、ちょっと嫌だよね」  柔らかなチーフの言葉が、頑なだった私の心をほんの少し溶かした。まるで寒い日のホットコーヒーのように。 「クリスマスもそうだし、恋愛観もそうだけど。人の数だけ価値観はあって、それぞれの『普通』があって、大多数の『普通』が世間の『普通』って思われてるだけなのにね……って、普通普通言いすぎてよくわからないか」  私は黙って首を振った。言いたい事はわかる、すごく。 「俺もね、一つ秘密を話すけれど」  チーフは言葉を区切った。窓の外を見つめる。イルミネーションに彩られた街路樹が、ちらちらと小さな光を放っていた。チーフの輪郭も、光に合わせて白く照らされる。  私はごくりと唾を飲んだ。喉の音が、狭い事務所にいやに大きく響いた。 「……俺の娘は、俺と血が繋がっていないんだ」
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加