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「……え?」  思わず私はそう呟いていた。 「別に橋の下に捨てられていた子を拾ったとか、妻が不倫したとかではないよ?」  冗談めかしてチーフは笑う。私も慌てて笑顔を作った。 「AID、って知ってる?」  私は首を傾げた。知らないよね、とチーフは窓の外に目をやる。そしてゆっくりと語り始めた。 「AIDっていうのは、非配偶者間人工授精――夫以外の他人の男性の精子を使った人工授精のことなんだ」  私は思わずコーヒーの缶を握り直した。そうでもしないと、驚いて缶を落としそうだったから。 「俺たち夫婦には子供ができなかった。俺が原因で子供ができなかったんだ」  淡々と話すチーフの言葉に、今は悲しみは感じられない。時計の秒針の音が響く。 「子供が欲しいとずっと思っていたから、治療も受けた。いろんなことを試したけれどできなかった」  養子縁組とかも考えたんだけどね、と指先でコーヒーの缶のふちをなぞる。 「どうしても、子供が欲しかった。妻も子供を産みたいと望んでいた。でもそれは、どうやったって俺が叶えられる願いではない。だからAIDを選んだんだ」  そうなんですね、と答える声が掠れた。どんな顔をして良いのかわからない。コーヒーを啜ろうと缶を傾けたが、中身はもう空っぽだった。 「娘は健康に生まれ、健康に育っている。普通にね。でも、彼女は俺と血が繋がっていない……クリスマスに『普通』の家族が幸せそうなのを見る度に、俺が娘の『普通』を奪ってしまったんじゃないかって……」  チーフは一息にそこまで話し、ふうっと大きく息を吐いた。 「ごめんごめん、重い話になっちゃったね」  ほんの少しの哀しみを滲ませて笑うチーフに、私は思わず立ち上がって声を上げていた。
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