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忘れもの
私はいつも、男の部屋に忘れ物をしていた。それはつまり、忘れやすい性格だとか、そういうことではなく…。
「大学の頃さ、よくみんなで宅飲みしてたじゃん。」
菜々は、二杯目のビールに口をつけた。
「で、帰る直前にベッドの下とかトイレとかに何かしらを置いてくるわけ。例えば…家の鍵とかピアスとか。わざとね。」
向かいの席に座ってレモンサワーを飲んでいた優子が、首を傾げる。
「で、みんなと解散した後、その男に電話するの。私、忘れ物しちゃったみたいって。」
「あー、なるほど。」
「そんで、もう一回男の家に戻って、どうにかセックスまで持ち込む。」
「マジで。そんなことしてたの、菜々。」
ふんっと、菜々は鼻を鳴らした。
「どうかしてたよね、あの頃はさ。でもそれが楽しかった。」
「まぁねー。今思うと、ありえないこといっぱいしてたよね。」
あはは、と二人は笑い合った。
菜々と優子は、地元の高校の同級生だ。二人とも同じ地元の大学に進み、4年間を共に過ごした。
しかし菜々が東京で就職してからは疎遠になってしまい、5年前の優子の結婚式で会ったきりだった。
今日は、5年ぶりの再会。菜々の最寄り駅の近くの居酒屋で飲むことになった。
優子の夫が東京に単身赴任しており、会いに来たついでにと、菜々にも連絡が入った。二人で飲んだ後、優子は夫のマンションへ行くらしい。
「昔から菜々は綺麗だったもんね。そんなことされたら、男の方も断れないわ。」
「まぁねー。けっこうな確率でヤれてたかな。」
酒も入り、会話もなかなか過激になる。
「え、今の彼氏は?やっぱりその手口で?」
優子がレモンサワーのグラスを手に、身を乗り出した。
「もちろん。あの時はスマホだったかな。絶対に取りに戻らなきゃいけないアイテムにした。」
「さすが菜々。」
「で、部屋で二人で飲み直すことになって、そのままなし崩し。」
「やば。」
ふふっと菜々は笑った。
「でもねー…もう別れるかも。」
「え。」
優子が目を丸くする。
「…なんか、価値観の違いってやつ?あの人とは結婚も期待できないし。」
「そうなんだ…。」
菜々はビールグラスを一気に煽った。
「あーっ。もう飲もう!今日は飲もう!」
その後、二人は学生時代の思い出話やお互いの彼氏遍歴で盛り上がった。
夜も10時を過ぎ、そろそろ帰ろうかと店の外に出ると、ひゅうっと秋の冷たい夜風が頬を撫でた。「寒いねー」と言いながら菜々が落ちてきた髪の毛を耳にかける。
「あれ?」
優子が、何かに気づいた。
「菜々、ピアス片方ないよ。どこかに落とした?」
「え…。」
菜々は自分の耳たぶを指で触った。
「それ、私が誕生日にあげたやつ?まだしててくれたんだね。」
優子が嬉しそうに言う。
「どうしよう。店に落としたかな。」
「一緒に探しに行く?」
その優しい言葉に、菜々は首を振った。
「大丈夫。一人で行くよ。優子はダンナさんが待ってるでしょ。」
「でも…。」
「いいから。行って。」
菜々が笑顔で言うと、優子は「じゃあまたね」と、名残惜しそうに駅の方へと歩いて行く。
菜々は、その後ろ姿をじっと見つめた。
ピアス…。
ピアスね。
これ、あんたが私の誕生日にくれたやつ。よく覚えてたじゃん。
大丈夫。これの片方は、あんたのダンナの部屋にあるからさ。
ニヤッと菜々は笑った。
優子は振り返ることなく、数メートル先の角を曲がって行く。
だってあんたのダンナが悪いんだよ。散々私の体を抱いて、散々愛してるって言ってたくせに、やっぱり優子とは離れられないってどういうこと。
別にすごく好きだったわけじゃないけどさ、そんなこと言われたらムカつくじゃん。だから、枕の下にピアスを置いてきたの。
ぞくぞくするね。
あんたはいつ、あれを見つけるかな。今夜かな。明日の朝かな。
見つけたら、すぐに私の物だって気づくかな。
気づいたら…あんたたち二人はどうなるのかな。
クックッと笑いを押し殺しながら、菜々は反対方向に歩き出した。
それにしても、まあまあお気に入りのピアスだった。
この忘れ物はもう、取りには戻れないなと少しだけ惜しい気持ちになった。
完
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