言えない気持ちは傘の中

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「今日の朝は雨がすごかったですね、センパイ」  バイト先の書店にて、閑古鳥が鳴く店内で大学の後輩のかすみが言った。かすみはよほど暇人なのか、大学の講義の後などによく俺のバイト先のこの店にやってくる。本を買う時もあるがたいていは雑談をするだけだ。  サボっているようで落ち着かない、と言うと「センパイは真面目」なんて言って笑うばかり。  俺はそう口数の多いほうではないので何が楽しいのかわからないが、かすみはいつも上機嫌で俺のそばにいる。 「俺は駅の地下通路を通ってきたから傘を差さずに済んだよ。折り畳み傘すら持ってこなかった」  昼になって雨は止んだ。このまま濡れずに帰れるといい。するとかすみは「……あら」と言った。あららら、とスマホを見て、何か考え込む。 「どうかしたのか」 「センパイ、もしかして今日は天気予報を見ていませんね?」 「ああ。スマホの充電切れててな。いま充電してるとこ」 「そっかぁ……」  考え込んでいたかと思うと、急に何かを決意したようにうん、と頷いた。  そして俺を見て、スマホを見て、空模様を確認する。心なしか頬が少し赤い。 「どうした?」 「セ、センパイ、私はもう帰りますね。お客様が一人もいない店内で寂しく働いてください!」  そう言ってぎくしゃくとドアに向かう。 「あーしまったー、今はもう晴れてるからうっかり傘を置き忘れちゃったー!」  などと言いながら傘を店の傘立てに置いていった。忘れているぞ、と声をかけようとしたら「まだ見ちゃダメですー!」と叫んで走りだした。 「えっ、おい……」  背後も見ずにそのまま逃げるように走り去る。  高校生の時から一緒にいることが多いが、かすみは俺に対して時々よくわからない態度を見せる。 「何なんだ、あいつは」  あきれながら店番に戻った。  帰宅時間の夜になって雨が降りだした。ほとんど客の来ないままだった店内を片付け、そのどしゃ降り具合に「しまった」と声が出た。  駅の地下通路に繋がる出入り口は早い時間に封鎖されてしまうから地上を歩くしかないのだが、結構な強さで降っている。 「借りてもいいのか……?」  あらためて傘立てを見てみると、かすみが忘れていった傘の持ち手にはわざわざ「センパイ専用!」と俺の名前と共に注意書きが貼られていた。いつの間に貼ったのだか。 「俺のために置いていってくれたのか」  ふっと笑みがこぼれた。  かすみはスマホで天気を確認し、俺のためにわざと傘を忘れていったのだろう。だとしたらどうしてあの時見てはいけない、と止められたのかはわからないが。 「ありがと。借りるな」  ここにはいないかすみに向けて感謝し、店の戸締まりをしてから傘を開く。  ポンッ。  音を立てて開いた傘の中からひらり、紙が舞った。  --好きです。  紙に書かれた一文が、目に飛び込んだ。  たったひと言の告白の言葉が、まるで赤い落ち葉のように舞い落ちる。  一瞬呆け、あわてて濡れた地面に落ちる前にキャッチした。次の瞬間には俺の頬は熱を持ちはじめていた。 「な、何でわざわざこんなとこに……こんな紙はさんで……」  他の誰かが手に取っていたらどうするつもりだったんだ、と文句のように呟きながらも顔はどんどん熱くなる。  かすみが時折見せていた表情や、不可解な行動や不思議な態度を思い出す。ほんのり赤かった柔らかそうなあの頬も。 「……俺もだよ」  どしゃ降りの音にかき消される音量で、口にする。気持ちがアイツに向いてなきゃ、何となくだって一緒にいることはない。  --いつ、傘を返しに行こうか。  きっとかすみもいつ俺が傘を返しに来るのかそわそわと待っている。  案外小心者だから、怯えているかもしれない。そう思うと、もう今すぐにでも想いを伝えに行かなくちゃという気持ちになった。  かすみの家は電車で二駅。 『これからお前の忘れ物、届けに行くから』  送ったメッセージにはすぐに既読がついた。『待ってます』の返事が来るまでには長めの間。ちょっと愉快な気持ちになった。じたばたしながら待つといい。狼狽える姿を想像したら、可愛くて早く会いたくなった。  かすみがドアを開けたら、その瞬間に気持ちを伝えよう。  どしゃ降りの音にも消されてしまわない声で、ちゃんと、あいつに伝わるように。
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