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第7話 榛名、堂島に慰められる
日勤者が退勤し、午後の患者の穿刺が全員終わったところで、榛名は自分の分を含めた飲み物を買いに1階の自販機の所へ行った。
するとそこに、意外な人物が待っていた。
「よ、榛名君。お疲れ~」
「え、堂島君!? 帰ったんじゃなかったの?」
とっくに日勤を終えて帰っているはずの堂島が、自販機周辺の休憩スペースに座っていた。
「ちょっとレントゲン室に寄ってオシャベリしててさ、今から帰るとこ。で、もしかしてそろそろ榛名君が飲み物買いに来るかなって思って待ってた」
「待ってたって……ああ、君にも今日のお礼しなきゃね。何がいい?」
「別にそんなつもり無かったけど、コーラ! ゼロカロリーのやつな。ありがとっ」
遠慮なく自分の好きなものを頼み、受け取る前に礼を言う堂島に榛名は苦笑した。
「どういたしまして……あ、二宮さんコーヒーは微糖派か無糖派か聞くの忘れたな」
「ん? 二宮先輩はブラックだよん」
「そうなの? ありがとう。有坂さんはカフェオレっと……」
コーヒーの好みまで把握しているなんて、堂島と二宮は普段から相当仲がいいんだな、と思った。先輩後輩なのでそれくらいは当然なのかもしれないが。
自分の分の微糖コーヒーまで買ったあと、榛名は堂島の隣に腰を下ろした。
「堂島君、今日は本当にありがとう」
「何? 改まって」
「俺、崎本さんによく思われてないみたいでさ……気づいてるだろ?」
「あー、うん。まーね」
堂島はそう言ったあと、コーラの蓋を開けてゴクゴクと勢いよく飲んだ。炭酸を一気に飲めない榛名はそんな堂島に感心しつつ、気になっていたことを聞いた。
「堂島君、俺に何か話したくて待ってたんじゃないの?」
堂島がゴクリと喉を鳴らして、ちらりと榛名を見るとまた目線を前に戻した。目線の先は壁で、『手を洗いましょう』だの『食中毒に気を付けましょう』等のポスターが貼ってある。この近くにあるのは給食室だ。
「これは榛名君の耳に入れるかどうか迷ったんだけど……」
「迷ってるなら話してよ」
「今朝休憩室で、崎本さんが三宅さんに『男の看護師主任とかありえなく無いですか? しかもあんなに若いの! 主任だからって年下の男に偉そうに指示とかされたくないですよね』とか言ってるのが機械室まで聞こえてきてさ」
「……そう」
やはり崎本は、榛名が年下の男で主任であることが気に入らないようだ。
陰でコソコソ悪口を言われるだけなら別にいいが、彼女の場合は態度も全面に出してくるのが問題だ。
「榛名君、見た目よりはそんなに若くないのにねぇ」
「うるさいなぁ」
「ま、そんだけ。言ってなんだけど、気にしないほーがいいと思うよ。看護師って女性社会だからそういう人も珍しくないっしょ」
「まあね、男の看護師なんてチヤホヤされるか嫌われるかのどっちかしかないから。まあ、俺は嫌われたことってあんまりないんだけど……」
学生時代から、榛名は周囲の女子からはわりと好かれる方だった。
姉がいるせいかなんとなく女性への接し方は分かるし、嫌悪されないように常に清潔感を保っていたり、優男風に振舞っていたのも――実際榛名は優しい男なのだけど――大きいのだが。
「ちなみに三宅さんはそれを聞いても苦笑しただけでなんも言わなかったよ、大人の対応だよなぁ」
「まあ、大人だしね」
「俺らもね」
「……うん」
もちろん崎本も大人だ。しかも堂島よりも榛名よりも二宮よりも年上だ。
なのに誰が聞いているのかも分からない職場で誰かを好きだの嫌いだのと、そういうことを言うのは大人としてどうなんだろうかと、榛名は思った。
「ま、そんなわけだから……またなんか色々言われるかもしんねぇけど、怯まないで毅然とした対応を頑張ってよ」
「何だよそれ」
「だって榛名君、女に責められるの苦手だろ? さっきもちょっと腰が引けてたのバレてっから」
「う」
その通りだ。榛名が女性に嫌われないように日々気を付けて過ごしていたのは、嫌われるのが――引いては責められるのが怖い、というのがある。
母や姉がわりかしパワフルな性格なので、常に振り回されていたことが原因じゃないかと思うのだが、根っこのところは小学生のときに『榛名君ってホモなんじゃないの?』と女子に噂されたのがトラウマになっているのだろう、と榛名は自己分析している。
以前霧咲の妹の蓉子と激しい言い合いをしたことはあるが、あれは間に霧咲と亜衣乃がいたから、二人のために頑張れたのだ。今思えば、よくあそこまで女性に対して言えたな……と自分でぞっとしてしまう。
そういえば、榛名にとって小学生女児は畏怖の対象であるのに――亜衣乃だけは最初からわりと平気だった。
トラウマなどどうでもよくなる程の美少女だったからか、否、亜衣乃は榛名を伯父の恋人だと紹介されても、偏見を持たずに一瞬で受け入れてくれたからだ。
それから亜衣乃は榛名にとって、特別な女の子だ。
(職場の女性ひとりに嫌われたからってなんだ……俺には亜衣乃ちゃんという可愛い娘……いや、妹? みたいな存在がいるんだから、全然平気)
もちろん自分の一番の味方は霧咲だ。感情が昂った時はもう彼以外は目に入らず、他には何もいらない――などとドラマチックなことを考えるのだが、現実はそうはいかない。
無意識に大きなため息を吐いた榛名に、堂島が言った。
「まあ、元気だしなって! 俺も有坂ちゃんも二宮先輩も若葉さんも、みんな榛名君の味方だからさ。透析室内でやりあっても全然ダイジョーブってこと! なんなら患者さんたちも味方してくれると思うよ」
「それはどうかなぁ……」
榛名は自分がそれほど患者たちから好かれているとは思っていないのだが、同僚からは一目瞭然だった。
「ま、どうせバトるんなら霧咲先生がいる時が一番いいけどな! 霧咲先生、榛名君がイジメられてるの見たらブチ切れるんじゃね?」
実際にブチ切れた霧咲を一番目の当たりにしたのはこの堂島なのだが、彼はそれを覚えているのだろうか。(今の堂島はキレたら一番怖いのは二宮だと上書きされている)
「バトらないから変な期待しないで! そろそろ回収が始まるから戻るね。ありがとう堂島君、なんか元気出たよ」
「どーいたしまして。じゃ、お疲れ!」
「お疲れ様」
軽快な足取りで去っていく堂島の姿を見届けてから、榛名は透析室に戻った。透析室では二宮はパソコンを、有坂は委員会の議事録作成をしていた。
「任せきりにしててすみません、これどうぞ」
「わ! ありがとうございます主任! カフェオレ大好きですっ」
「いつも飲んでるもんね」
「はい!」
いつも飲んでいるものをわざわざ買ってあげるのはどうだろうと思っていたのだが、素直に喜んでもらえて良かった。
「俺もありがとうございます、ブラックが好きってよく分かりましたね」
「下で堂島君に会って、二宮さんは無糖派だって教えて貰ったんですよ」
「え、堂島? アイツまだ帰ってなかったんですか?」
堂島の名前を出した途端二宮が食いついてきたので、榛名は少し驚いてしまった。
「は、はい。レントゲン室の友達と話してたって言ってましたよ?」
「ああ、矢沢さんかな……そうですか……」
「?」
前に機械室で二宮が堂島の頭を撫でているのを見たことがあるし、自分が思っている以上に仲良しなんだなと榛名は思った。
堂島は少しあやしいが、二宮はノンケだと疑っていないので――まさかこの二人が付き合っているなんて、想像もしていないのだ。
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