第9話 榛名、亜衣乃の前でやらかす

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 もう過ぎたことなので仕方ないが、どうしてもっと亜衣乃のことを気にかけてやらなかったのかと霧咲は今更ながら悔やんだ。  医者としての、日々の忙しさなど理由にならない。  亜衣乃のことは可愛いが、結局自分も榛名に会うまで、かつての恋人の置き土産的な亜衣乃の顔を見るのが本当は辛かったのではないかと……。  蓉子に慰謝料として、実の父親の代わりに亜衣乃の養育費を渡しているだけで義務を果たしている気になっていた。 (こんな俺が、今更亜衣乃の父親面をしていいんだろうか……) 霧咲が神妙な顔をしているのに気付いたのか、亜衣乃はわざと明るい声で言った。 「だからねまこおじさん、亜衣乃の前では遠慮せずにアキちゃんとラブラブしていーんだよ! 亜衣乃はそれを見たら安心するんだもん、それってお互いにウィンウィンってやつでしょ?」 「……よく言葉を知ってるな」 「ニュースだけじゃなくて本も読むもの。……まあアキちゃんが恥ずかしがる気持ちも分かるから、無理に仲良くしろとは言わないけどぉ……」 「善処するよ、暁哉にも言っておく。少し気が楽になるんじゃないかな」 「だったらいいんだけど」 「ありがとう、亜衣乃」 「どういたしまして。じゃあ亜衣乃は先に寝るね! おやすみなさい」 「ああ、おやすみ」  亜衣乃は榛名と話すために起きていたのだけど、なんだか少し気恥ずかしくなったので先に寝ることにした。 ――が。  ガチャッ 「わッ!? あ、アキちゃん? いつからそこにいたの!?」  リビングのドアを開けたら、廊下の壁を背にして榛名が立っていたので亜衣乃は素っ頓狂な声をあげて驚いた。 「亜衣乃ちゃん……」 「え!? アキちゃん泣いてるの!? どーして!? もしかして亜衣乃、また余計なこと言ってた? ごめんなさい!」 「ち、違うよ……」  榛名はズズッと洟をすすると肩に乗せていたフェイスタオルで涙を拭くと、俯いたまま亜衣乃に向き合った。 「亜衣乃ちゃんみたいな小さい子に気を遣わせて凄く申し訳ないのと……亜衣乃ちゃんの言葉が有難いのと……その、蓉子さんと彼氏の話も聞こえちゃったから、亜衣乃ちゃんが今まで無事で良かったなって思う反面、もしも危ない目に遭っていたらって怖い事も考えちゃって……ごめん」 「アキちゃん……」 亜衣乃は母親の彼氏に身体的には何もされなかったが、全く何も無かったわけではない。 伯父の存在を匂わすまでは『お母さんより可愛いね』『将来が楽しみだね』『今度ママに内緒でおじさんと二人でお出かけしようよ』などと、セクハラ発言をされた事は何度もあった。 それらは母がトイレに言っている時などのほんの一瞬だったが、蛇に睨まれた蛙のごとく底知れぬ恐怖を感じたものだ。 今思えば、本当によく無事だったなと、自分でも思うことがある。 そういう自分と似たような境遇の、悲しいニュースをテレビで目にするたび──。 亜衣乃は榛名に距離を詰めると、榛名の腰あたりにギュッと抱きついた。 「亜衣乃ちゃん?」 「……アキちゃんは、まこおじさんと亜衣乃にとって王子様だね」 「え!? お、王子様? 俺が?」 「うん、だって私達を助けてくれたもの。それって王子様でしょ?」 「でも俺、何もしてないんだけどな……」 それにその理論だと亜衣乃はともかく、霧咲までお姫様ポジになるのではないかと――榛名が想像しかけたところで、霧咲も廊下に出てきた。 「亜衣乃の言う通りだな」 「誠人さんまで!? いやでも王子様って……よく分からないけど、いい意味なのかな。なんだか照れますね」 榛名はほんのりと頬を赤らめながら、眉を下げた。  もしも霧咲が榛名と出逢わなければ、亜衣乃を引き取ることはなかっただろう。 きっと今も慰謝料兼養育費を大人しく蓉子に払い続けていて、亜衣乃は母親のもとで暮らし、母親の彼氏に酷い目に合わされていたのかもしれない。 「アキちゃん、大好きだよ。まこおじさんと仲良くするついででいいから、亜衣乃とももっともーっと、仲良くしてね!」 「そんなの当たり前だよ! 俺の方がお願いしたいくらいだし」  亜衣乃はこれから反抗期を迎えるだろうし、榛名は実の親子でも母親でもないぶん、何があっても切れないような絆を今の内に築いておきたい。  そんな榛名の気持ちが伝わったのか。 「ふふっ、亜衣乃は今より大きくなってもアキちゃんには反抗しないから大丈夫だよ。不満はぜーんぶまこおじさんにぶつけるからね!」 「おいっ! ……まあ、いいか」 榛名はクスクス笑いながら「誠人さんが可哀想だから、俺にも少しは不満ぶつけてね」と言った。 「――あ、そうだ。亜衣乃が寝る前に言っておかないと……明後日の日曜日、三人で水族館に行かないか?」  唐突に霧咲が言い、榛名と亜衣乃はキョトン顔で目を丸くしたあと、それぞれ反応した。 「水族館!? 行きたーい!!」 「ええっ!? う、嬉しいですけど誠人さん、せっかくの休日にゆっくりしなくていいんですか!?」  榛名と亜衣乃はちらりと目を合わせたあと、再び霧咲を見た。 「今日も休みだったし、十分にゆっくりしたさ。君は明日明後日は二連休だよね? 明日ゆっくり休んで、日曜は沢山遊ぼう。ほら、最近仕事疲れてるみたいだしさ……気晴らしにいいかなと思って」 「誠人さん……」  崎本とのことは霧咲にはほとんど関わりのないことなのに、気にして貰えて嬉しかった。同時に(俺、そんなに悩んでる風に見えるのかな?)と少々不安になったけれど。 「やったぁ水族館! ……あ、でも亜衣乃も行っていいのかな? まこおじさんとアキちゃん、久しぶりに二人きりでデートしたかったら全然お留守番するけど?」 「「置いて行くわけないでしょ(だろう)!?」」  榛名と霧咲に同時に言われて、亜衣乃は少々驚いたがすぐに笑顔になった。 「うんっ! じゃあ亜衣乃も楽しみにしとくね!」 「亜衣乃、土日分の宿題も終わらせておけよ」 「さっき全部終わらせたよ」 「そうか」 「亜衣乃ちゃん、エライなぁ~」  榛名はにこにこと感心しながら亜衣乃の頭を撫でた。 自分も小学生の頃、宿題は学校から帰ったら真っ先に終わらせるマジメな子どもだったので、亜衣乃も同じなのが嬉しかった。 「えへへ。じゃあ亜衣乃はもう寝るね。おやすみなさいっ」 「おやすみ~」 「暖かくなってきてもまだ夜は冷えるから、風邪引かないように布団はしっかり被るんだぞ」 「分かってるってばー」  亜衣乃は霧咲の小言を半分うっとおしそうに、もう半分は嬉しそうな顔をして聞くと、自室へ引っ込んだ。 「……楽しみです、水族館」 「そうか、俺もそう言って貰えると嬉しいよ。――ところで暁哉」 「はい?」  霧咲がさっきの続きとばかりに榛名に向かって手を広げた。先程は背後から抱きついたのだが……。  榛名はちらっとリビングのドアを確認したあと、霧咲の腕の中に収まった。
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