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第13話 ある少女の憂鬱な朝
何の変哲もない、いつもと変わらぬ朝。
少女は憂鬱な気持ちで目を覚ました。
(学校、行きたくないなぁ……)
少女は小学5年生になったばかりで、去年まで仲の良かった級友たちとはほとんどクラスが離れてしまった。
しかし孤立しているわけではない。休み時間にひとりでいるところを、とあるグループの一員に声を掛けられた。
『猫田さん一人なの? 良かったら私たちのグループに入らない?』
『……いいの?』
『もちろんよ!』
少女の名は、猫田花音という。
花音はひとりぼっちの自分に優しく声を掛けてくれた、新しくクラスメイトになった少女――有吉新菜に心から感謝した。
――その時は。
新菜のグループは四人組だった。
全員服装が派手めで、休み時間でも一番声が大きく幅を利かせており、新菜がそのグループのリーダー格だった。
そして花音が加わって五人になり、当然だが一人余る。しかも全員花音とは初対面で、新菜が『私達のグループに入ってもらうことにしたの』と、勝手に連れてきた花音に対して残りの三人は怪訝な表情を隠さなかった。
花音はそれは当然だと思い、彼女たちと仲良くできるようせいいっぱい愛想良く振舞った。
しかし、聡い花音はその日が終わるうちにおかしいことに気付いた。
全員、花音を無視してしゃべるのだ。
完全に無視されているわけではなかった。
ただ、花音が自分から声を掛けたり話題を出しても誰も反応を返してくれない。でも他の子が喋っているときに『カノンちゃんもそう思うでしょ?』などと相槌は求められるから、他のクラスメイトからは仲良し五人組に見えているのだろう。
しかもこのグループの新菜以外の三人は、やたらとリーダーの新菜をちやほやと持ち上げていた。
どうやら家がお金持ちらしく、母親同士も皆昔からの知り合いらしい。
花音が同意の相槌を求められる話題も、ほとんど新菜の顔や今日の服装を褒めるためだった。うんざりした。
(これなら一人の方が全然マシだった……)
そう思っても、もう遅い。
今更グループを抜けたいなどと言えば、発言権の強い新菜を筆頭にクラス全体からイジメられることは目に見えていた。
(あ……)
無視されながらも愛想笑いをしている花音の視界の隅に、凛とした後ろ姿が見えた。
廊下から二列目、一番前の席で物静かに本を読んでいる彼女の名前は、霧咲亜衣乃という。
今クラスで一番浮いているのは彼女、というのが、クラスメイト達の共有認識だった。
何故亜衣乃が浮いているのか。それは彼女が進級式の日に転校してきたことも多いに関係しているだろう。
それと、実は花音は見ていたのだが、新菜が最初にグループに入らないかと声をかけたのは花音ではなく亜衣乃だったのだ。
『霧咲さん、転校してきたばっかりでまだ友達もいないでしょ? 良かったら私達のグループに入らない?』
新菜は花音のときと同じように優しく亜衣乃に話しかけた。すると亜衣乃はニッコリと愛想良く笑い――
『ありがとう。でもグループに入るのは遠慮するわね、わたし、一人で本を読むのが好きなの』
と、角の立たない大人のような言葉遣いで断ったのだ。
新菜は断られたことに吃驚したのか、しばらく固まっていたが――『そ、そう、じゃあ入りたくなったらいつでも声かけて』と言い、次に花音のところへ来た。
(私もあのとき、霧咲さんみたいに断っていれば……)
そう思っても、もう後の祭りだ。
それに花音は別に読書好きではないし、一人でいたい理由なんか今も思いつかない。それに新菜に最初に声を掛けてもらえたときは、純粋に嬉しかったのだから。
『ねえ、花音ちゃんの洋服もいつも可愛いし、あまり同じもの着てないわよね。上にお姉ちゃんがいるの? お下がり?』
新菜がボーっと亜衣乃を見つめていた花音に話しかけたので、意識がこちら側に戻ってきた。
花音は自分のことが話せるのが嬉しくて、つい浮かれてしまった。
浮かれて、大好きで自慢の兄のことをスラスラと話してしまったのだ。
『ううん、いるのはお兄ちゃんだけ。お兄ちゃんはファッションモデルだからスタイリストさんにたくさん知り合いがいてね、撮影で使わなくなった洋服とか時々貰ってきてくれるの!』
自慢したつもりはなかったが、自慢じゃ無いとも言い切れない。
花音は兄のことも、兄の職業も自分のことのように誇らしく思っているので。
なので、自慢したのは洋服のことよりもむしろ兄のことだったのだが、新菜たちはそうは受け取らなかったようだ。
『へえ……そんな可愛いお洋服がタダでもらえるんだ……ずるいなあ』
『ていうかなにそれ? 自慢?』
『そういえば私、他のクラスの友達に聞いたことある。花音ちゃんのお兄ちゃんってRIONっていう有名モデルなんだよね? ――まあ有名なのは、花音ちゃんがそのモデルのお兄ちゃんとは全ッ然似てないって噂の方だけど』
『なにそれウケる~!!』
新菜を含む四人が、アハハと手を叩きながら意地悪く笑っている。
クラス中に聴こえるように大きな声で話すものだから、全員が聞いていただろうと思う。花音たちのグループ以外はシインとしていた。
その静寂の中で、一部の男子たちが『あいつら毎日マジでうるっせぇな』と吐き捨てているのが聞こえた。
――そして。
(あ……)
本に向かって目線を下ろしていた亜衣乃が、少し振り返って花音の方を見ていたのが見えた。
*
それが、昨日の出来事だ。
元々グループ内でイジメられているようなものだったが、今日からもっとひどくなるかもしれない。そう思うとベッドから起き上がる動作も緩慢になってしまう。
ファッションモデルであり、現役高校生の兄――理音は学業に加えて部活までしており、既に男子バレー部の朝練に行ったあとだった。
(お兄ちゃんの顔、見たかったなぁ……)
理音と花音があまり似ていない、というのは本当だった。
花音は父親似だが、母親似の兄は元々顔立ちが整っており、モデルを始めてからはひどく垢抜けて、男なのに『美人』という形容詞が一番似合うほどに美しくなった。
中身は全く変わっていないけれど。
そんな美しい兄の顔を見ると、花音はどんなに落ち込んでいても元気が出るのだ。自分がひどいブラコンであるのは自覚している。
しかし兄も自分と同様にシスコンだし、その上優しいのでブラコンであるのはもはや自然の摂理だ、と花音は開き直っている。
しょうがないので、兄の載っている一番お気に入りのファッション雑誌の古い号を本棚から取り出し、癖がついているページをめくった。
雑誌の中の兄は色んな大人の手によって、頭のてっぺんから足先まで整えられ、一着十万もするような服を纏い――あんな緊張する撮影は二度とごめんだ、と当時の兄は言っていた――言葉も出ないくらい美しい。
(お兄ちゃんと、もっと似ていたらなぁ~……)
そんなことを思ったとき、階下から母の呼ぶ声が聞こえた。
「花音、起きてるの~!? そろそろ起きないと、遅刻しちゃうわよ!」
「はあーい」
間延びした声で返事をして、花音は雑誌を閉じた。
※作者より※
花音と理音は拙作『猫田君と犬塚君』に出てくるキャラですが、別の世界線のキャラクターだと思って読んでください。
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