第1話 運命とは

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 せっかくの二連休で、時間はまだ午後に突入したばかり。家にはまだ帰りがたく、でも街を一人でぶらつくのも趣味ではないので、榛名はとりあえず目についたネットカフェで時間を潰すことにした。  榛名はそこで6時間コースを取って、その大半を寝て過ごした。  気になっていた映画を一本観て、その後漫画を何冊か持ってきて読んだが、最終巻まで読む気が起こらずに寝てしまったのだ。  リクライニングのある席を選んだとはいえ、帰って寝たほうがいくらかマシだったが帰りたくなかったので仕方がない。  時計を見たら、終了時間の5分前だった。  現在、18時25分。ラーメンでも食べて帰ろうかな、と思い榛名はネットカフェを出た。  あまりよくない姿勢で寝ていたのだが、頭はすっかり冴えていた。そして先程の彼女のことを思い出すと、ショックどころかだんだん腹が立ってきた。  例えば――榛名は車を持っていないペーパードライバーなので、レンタカーを借りてどこか遠出をする、ということはなかった。  しかしデートは毎回完璧なプランを立てていたし、かかる費用もすべてこっちが持っていた。  看護師という職業は世間が思っているほど高給取りではないし、毎回二人分の食事代を払うのは正直財布が痛かったが一応男の手前、割り勘にしてほしい――なんてことは言えなかった。  というか、彼女は財布を出すそぶりすら一度も見せたことがなかった。初めて奢ってもらったのが、先ほどのコーヒー代のみだ。 (……なんか、別れてよかったのかも)  もちろん、世の中には割り勘を申し出てくれる女性もいるらしい。しかし榛名は今までそんな相手と付き合ったことはないし、相手を真剣に愛せない自分がそんな稀有な相手と出会える可能性はゼロだろうとも思っていた。  大体そんな女性が存在するとして、もうとっくにどこかのいい男のモノだろう。  そんな榛名があと縋れるものといえば、先程否定していた『運命』だった。  もしも自分が『運命の相手』とやらに出逢えたならば、今までとは違う真剣な恋ができるかもしれない、と。  しかし榛名はそれすらも諦めている。  そんなものは、ただの偶然の産物に過ぎないのだと分かっている。 (でも、もしも本当に、本当に運命があるのなら……)  考えかけたが、すぐにやめた。  誰かと出逢うたび、別れるたびにこんなことを考える28歳は痛すぎる。  運命なんて信じないと言いながら、無意識にそれに縋ってしまう自分が心底情けなくて、榛名は静かにため息をついた。  ラーメン屋を出て、溜まった怒りを発散しようとカラオケ屋に入った。ひとりで入るのは初めてだったがビールを片手に2時間熱唱し、ようやく時刻は21時を回ってくれた。  しかし、まだ帰りたくない。  一体自分はいつまでひとりで街にいるつもりなのだろう。カラオケでだいぶストレスは発散できたはずなのに、まだ帰りたくないと思う自分に少々呆れてしまった。  あてもなく街をぶらつき、日曜でも仕事帰り風の人を見るとつい同情してしまう。しかしやけに目につくのは、デート帰りらしい幸せそうなカップル達だった。 (……そういえば、俺は彼女にあんな顔をさせたことはあったかな)  たった1か月しか付き合っていなかったため、信頼関係もそこまで築けていなかった自分達は、目の前を通り過ぎるカップルのように仲良くはなかった。  けど、そんなのはただの言い訳だろうか。  結局は自分が、彼女のことを本気で好きではなかったから。  この先、真剣に好きになれる相手には出会えるのだろうか。  上京してきて8年、母親は今年に入って一か月に一度は必ず結婚の催促の電話をしてくる。 『暁哉(あきちか)~、あんたまだ結婚せんと? 相手はおるっちゃろうが、早く孫の顔を見せなさい!』  地方の田舎は結婚が早い。小学校の元同級生達がどんどん結婚して子供を作っているので、母は自分も早く孫を抱きたいのだろう。 『こっちの友達はまだ誰も結婚しちょらんし、男なら焦る必要もないっちゃけん、俺のことはほっといて。孫は姉ちゃんに頼んでよ……』  何度反論しても必ず電話は来る。母曰く、既婚である姉の子ども――まだ存在すらいないが――はあちらの家のモノだそうだ。  嫁いでたって孫は孫だ。あっちのモノだとかこっちのモノだとか、まず赤ん坊はモノではない。そして孫は祖母のモノではない。 (そんなに孫が欲しいのなら、もう自分たちで作ればいいのに)  そんなことを心の中で毒づくくらい、母と電話をしたあとの榛名はイラついていた。自分には子供はおろか、結婚の予定もない。  そういうことを考える相手はさっきまでいたものの、彼女はあっさりと自分を捨ててDV男探しの旅に出てしまった。  しかし彼女と別れたなんて母に言ったら、また見合い話と『地元へ帰れ』コールを寄越すだろう。 (ああ、面倒くさい……)  新たなストレスの出現に、榛名は本日何度目かの深いため息をついた。 (このままブラついていても仕方ないかぁ……)  やっとそろそろ帰ろうかな、という気になった。母親の電話の件を思い出して、ただでさえいつも低いテンションがもっと下がってしまったのだ。  しかしそんな榛名に、少し前を歩いていた若者同士の会話が耳に入ってきた。 「次、どこで飲むー?」 「俺がこの間行ったバー行く? 水槽とかあって超オシャレでさぁ、それにマスターがすっごい美人だったんだ」 「へー! こっから遠い!? ちょっと行きたいかも」 「電車には乗るけど、駅からはまあまあ近いよ」  バーといえば、ドラマなどでは失恋した人間が唯一愚痴ることのできる場所……榛名の中で、バーの印象はそんな感じだった。  榛名は居酒屋にはひとりでも入れるが、バーには入ったことがない。  もう28歳だし、その上男で、そして別に悲しくはないがちょうど失恋したばかりだ。  テンションは低いものの、ビールを飲んだせいで多少気が大きくなっていたため『今ならひとりでもバーに入れるかも』と思った。 (……よし)  ひとりで静かに意気込み、榛名はその男性達の後ろをこっそりと着いて行った。
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