第3話 運命の出逢い

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第3話 運命の出逢い

「何にするか迷ってるの?」 ふと声がした方を見ると、二つ向こうの席に座っていた男がいつの間にか隣に来ていた。 男は長めの前髪をラフにセットしていて若く見えるが、暗めのトーンの服装や落ち着いた物腰などから、明らかに榛名よりも年上なことが伺い知れた。そのうえ、俳優のような甘いマスクをしている。 榛名は彼を一目見て、うわ、イイ男だなぁ……と思った。職場の女性陣が見たら、皆歓喜の黄色い声をあげそうな――。  榛名は男にぽーっと見蕩れていてしばらく返事をしなかったのだが、男はなおも話しかけてきた。 「一人? ここに来るのは初めて?」 「はっ、ハイ! ……っていうか、バーに来ること自体が初めてで……」 「そうなの?」  街で見かけた知らない若者たちにコッソリ着いてきた、とまでは言わなかった。(さすがに痛すぎるのは自覚している)  しかしわざわざ声を掛けられるくらい自分は挙動不審だったのだろうか。 それとも男のくせにバーに来るのが初めてだなんて、おかしいと思われただろうか。  初対面の相手に見栄を張ってもしょうがないので正直に答えたものの、榛名は少し恥ずかしくなって男から目を逸らした。  しかし男は何でもない風に続けた。 「俺がいつも頼むのはカミカゼっていうカクテル。内容はウォッカとライムなんだけど、よかったら味見してみる?」 「ぇ、ありがとうございます……?」 「どういたしまして」  男は優しく微笑みながら、ライムが添えられたグラスを榛名の方にそっと寄越た。 ウォッカだのなんだの、飲んだところで榛名には全くわからないのだけど、一口飲んだそのカクテルは素直に美味しい、と思った。  アルコール度数は高そうだが、甘すぎずキレがあって飲みやすい。 「あ、じゃあ俺もコレ頼もうかな……」 「マスター、彼に同じものを」 「かしこまりました」  男が榛名の代わりに頼んでくれたことにびっくりして、反射的に男の顔を見ると、目が合ってニッコリと微笑まれた。  ドキッ…… (え、なんだ。今のドキッて)  ま、まあこんなカッコいい人に間近で微笑まれたら同性でもときめくよな。さっきも美人のマスターにときめいたばっかりだし、別に変なことじゃない。  榛名は何故か必死に、自分にそう言い聞かせた。  初対面の人間と飲むのは、こんなに楽しいものだったのか。看護師という職業に就いているものの、少々人見知りの気がある榛名は今まで知らなかった。  相手が全く自分のことを知らないからだろうか。それとも、彼が聞き上手だからだろうか。  どちらにせよ、顔のいい相手と話すのは同性であっても気分がいいな、と思った。自分は特に面食いではなかったはずなのだが。  男は霧咲(きりさき)と名乗ったが、きっと本名じゃないだろうと榛名は思った。名前まで格好良すぎる。 「君の名前はなんていうの?」 「俺ですか? 俺は――アキ、です」 「アキ? それは……下の名前?」 「そうです、アキって呼んで下さい」  榛名の下の名前は暁哉だが、フルネームで名乗ると必ず言われるのが『春なのか秋なのかどっちなの?』というセリフだった。  そもそも漢字が違うのだから春でも秋でもない。 長い間言われ続けてきたその言葉に今さらイラつくことはないが、わりとうんざりはしていた。  わざわざあだ名のような偽名を名乗ったのはそういう理由――というわけではないのだが、なんとなく彼の気を引きたいがために秘密にしたかったのかもしれない。無意識ではあるけれど。 「へえ、看護師さんなんだ。夜勤とか大変じゃない?」 「いやぁ俺は外来なんで、日付を超える夜勤はしないんですよ」  しかし気が付けば自分の職業や病院の場所、仕事に対する愚痴、なぜここに至ったのかなどの経緯をぺらぺらと霧咲に話してしまっていた。 どうせ二度と会うことはないのだから、何を知られたって構わないと思ったのだ。  ――どんな格好悪いことでも。  最初に頼んだカクテル――カミカゼも、もう三杯目だった。  違うものを頼んでもいいのだけど、これが美味しいと思ったので榛名は同じものを飲み続けていた。 「しかしその彼女は腹立つなぁ。自分が優しい彼氏が欲しいって言ったからアキ君が紹介されたんだろう?」 「そうなんですよ! 結局男に殴られたかったわけじゃないですかぁ、こっちはメチャクチャ気ィ遣ってたのに……ってのもおかしな話ですけどね、俺は女性に暴力奮う趣味はないので」 (大抵の男はそんな趣味ないだろうけど。だからあの子は俺じゃなくてもよかったんだ。俺も、あの子じゃなくてよかった)  少しだけ、胸がチクンとした。 自分にとって彼女がそうだったように、自分も彼女にとっては簡単に別れてしまえる、どうでもいい存在だったのだと気が付いて……。 「でも傷が浅くてよかったね。そんなに好きじゃなかったんだろ?」 「ええ、まあ……でも、なんとなくこの子と結婚するのかなって思ってました。俺、もう来年28だし……親も結婚しろしろってうるさいし……相手は25で適齢期だし……このまま付き合っていれば、いずれ結婚するのかなぁって」 「ちょっと待って。きみ、28……いや、27歳なの?」  霧咲は目を丸くして榛名を見つめた。どうやらもっと若いと思われていたらしい。 「え? そうですよぉ、ハハッ、見えませんか? 早生まれなんで、自分ではもう28だと思ってます。患者さんにもよく28には見えないって言われるんですよね~」 「25よりも若いと思ってたよ」 「ホントですかぁ~? そぉいう貴方は32……くらいですか?」 「俺は38だよ」 「えー、全然見えない! 霧咲さんも若いって言われるでしょう?」 「うん、言われる」 「やっぱり~!」  この人が若いって言われて怒る人じゃなくてよかった、と榛名は自分の言動を後悔したあとに安堵した。  女性は実年齢より若く言うと大抵喜ぶけれど、男性はそうじゃないことがある。 そんなに頼りなげに見えるのだろうか、と思わせてしまうからだ。何より榛名自身がそのタイプだった。口に出したことは無いが。  でも霧咲に若く見えると言われたのは何故か嬉しくて、ますますテンションが上がってしまった。 「アキ君、ずっとカミカゼばかり飲んでるね。もう一杯俺のオススメのカクテルがあるんだけど、頼んでもいいかな?」 「もちろんです。俺、カクテルのこととかな―んも分かんないんで、逆に助かります」  な―んも、を特に強調して言った。 「じゃあリュートさん、アレを二つお願いします」 「はい、アレですね」 (アレ……?)  『アレ』で通じるなんて、彼はよっぽどここの常連なんだな、と思った。マスターのことも名前で呼んでいるし、相当親しいのだろう。  しばらくして出てきたカクテルは、いかにも女の子が好んで呑むような配色だった。 「うわぁ、これぞカクテル! っていう色してますね。綺麗……」  上半分は紺色で、下がピンクになっている。目を凝らしてよく見ると、何かキラキラとしたものがゆっくりと下に沈んでいくのが見えた。  榛名はもったいない気がしてしばらくのあいだ飲めず、キラキラが全部落ちていくのをじっと観察していた。 霧咲やマスターがそんな榛名の姿を見て微笑んでいるのは全く気付かない。 「ナイトアフロディーテ、っていうカクテルなんです。うちのオリジナルです。良かったら飲んでみてくださいね」 「あっはい、飲みます!」  マスターに言われ、急かされたわけでもないのに榛名は慌ててグッと一口飲んだ。 見た目通り甘いのだが、飲んだあとは少し舌がピリッとする。  なんとなく大人の味だな、と思った。
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