1

1/6
前へ
/68ページ
次へ

1

 ちかちか光るテールランプがすいっと角の向こうに消えていく。  タクシーの後ろ姿を見送って息を吐いた瞬間、膝が崩れかけて慌ててて踏ん張る。  えーっと、あと何をしなきゃいけないんだっけ。  今日のお礼、打ち合わせ結果の共有、明日の準備。  接待費の清算は月末でよくって、ああけど、最近方法が変わって、三日以内に申請しなきゃなんだっけ?  タクシー乗り場からよろよろ階段をのぼり、ペデストリアンデッキの植え込みに座り込めばもう、立ち上がれそうになかった。そりゃあそうだ。この五日、ほとんど寝てない。腕を嗅いだらエナジードリンクのケミカルな匂いがしそうだったけど、持ち上げることすらおっくうだった。  一刻も早く帰って風呂入って寝るべきだと、頭ではわかってる。けど同じくらい、どうせ横になったって眠れないし、と不貞腐れるような気持ちもある。  身体がつかれるほど脳が冴えていくのは、深刻なバグだ。人体は早々に修正対応をすべきだと思う。  そう、例えば意識にスイッチをつけるとか。  五月とは思えない暑さが続く社内で、こまめに卓上扇風機の電源を切りながら(つけっぱなしで昼に出ると怒られる)最近よく妄想していた。人間の意識も、ボタン一つでオンオフができたらいいのに。そしたらもっと効率よく働ける。大事な時を逃さずに済む。  こう、パチッと。  そう思った瞬間、世界が暗転したから、一瞬本気で実装されたのかと思った。  どさっと何かが落ちる音。ちいさな悲鳴。おびえた声。そんなものをつれて、生ぬるい初夏の夜風が頬にふれる。停電? と誰かが言った。じっと目をこらしていると、少ししてぼんやりと輪郭が見えてくる。 ――お客様にお知らせします。現在、送電線トラブルによる大規模な停電が発生しており――……。  駅のなかから、そんな叫び声が聞こえてくる。雷もないのに、とことんついてない。空を仰げば星空が、なんてサプライズもなく、半端に都会化されたビルのすき間からは塗りつぶしたような漆黒しか見えない。  薄暗さになれた人々が、ゆっくり流れる黒い川みたいに一定方向に向かい始める。ああそっか、電車止まっちゃったから。はやく立ち上がってタクシー乗り場に並ばないと、今度こそ本当に帰宅できなくなるだろう。重たい腰をあげたとき、その流れのなかで立ちすくむ影に気づいた。  人波から頭一つぬけた男性らしきシルエット。足元には、荷物なのか黒々とした包みが落ちている。立ち尽くす姿が何かに似てると思った。 「大丈夫ですか?」  かすかに動いた影の足元にしゃがんで、がさがさ鳴る包みを持ち上げた。  思ったよりでかかった。一本釣りしたカツオくらいありそう。その割には軽くって、やわらかい。  クッションかぬいぐるみか。  遅くなったパパ。眠ってしまった小さな子ども。枕元にそっと置いておく、ごめんねの混じった誕生日プレゼント。そんなべたべたなホームムービーが頭を駆け巡る。完全に職業病だ。 「これ、落としましたよ」 「……すみません」 「いえ。プレゼントですか?」 「自分用です」  は? と言わなかったのは奇跡にちかい。
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!

125人が本棚に入れています
本棚に追加