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 は? と言わなかったのは奇跡にちかい。 「あの、すみません。タクシー乗り場ってどちらですか?」  呆然としていたところに問われて、助かったと思ってしまった。いや、いいけれど。趣味は人それぞれですけれども。  バレー部かバスケ部かって身長をした男の顔あたりを仰ぎ見ながら、「あっちですよ」と答える。と、ちょっと困った雰囲気が身体から漂った。 「申し訳ないんですが、連れて行ってもらえませんか?」 「それは構いませんけど」  どうせ自分も行くところだったし。軽く請け負うと、男は安心したように肩の力を抜いた、ように見えた。 「すみません。夜、あんまり目がきかなくて」 「鳥目ってやつですか?」 「はい。小さいころから、遺伝で」 「それは大変ですね」  スマホのライトでも点けたら? とは思ったけれど、この荷物じゃ難しいだろう。悩んだあげく、一抱えもある包みの端と端をにぎり合って進む。  タクシー乗り場は行列だった。三十分ほど待って、ようやく乗り込む車がやってくる。並んでいる間に方向が同じとわかっていたから、もだもだせずに同乗した。「お礼も兼ねて支払わせてください」と言われてしまえば、固辞するのも面倒だ。  包みを真ん中に置く。静かな車内にラジオが流れていた。停電は駅周辺だけらしくって、少し走れば、ぽつぽつ信号がともっていた。  男はずっと、そのひかりをたどるように窓を見ている。ちいさな頭に、広い背中。ぼんやりした光に縁どられたシルエットをみて、さっきの既視感に思い当たる。  切り離された流氷のうえで立ち尽くすシロクマ。  まぶたを閉じれば、絵本のタッチで描かれたシロクマが、所在なさげに波間に浮かんでいる。白い氷、アイスブルーの海。  何かが鼓膜をゆらす感覚はわかるけれど、水中にいるみたいにもどかしく届かない。まぶたがひっついたように開かなくて、指先は上から押さえつけられているかのように重たい。  身体が眠ってしまうと、魂がどれだけ頑丈な殻に入っているのかよくわかる。内側から決して破れない殻のなかで、行くことも帰ることもできないまま、ただ眠りの訪れを待つ苦痛を、いったいいつ覚えたんだったか。意志から切り離された指先が、車の振動にあわせて無防備に跳ねる。力は入らないのにシートのけば立った感触は伝わってきて、首元でゆれるマフラーのはしっこみたいな感覚をぼんやりと受け入れる。 ――あの、つきましたよ。  肩をゆすられる。じんわりとしたてのひらの温度が冷えた肌にここちよいな、と思ったのが最後だった。
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