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芳香剤でも置いているのか、ふわりと花のような匂いが香った。
あらためてみた男はでかかった。百七十後半の陽より、頭一つ大きい。白いパーカーを羽織った姿は、やっぱりどこかシロクマっぽい。
「あ、どうも」
「これ」
挨拶もそこそこに、こぶしをつき出されてとまどう。
うながされるまま両手を伸ばせば、開封したばかりののど飴が出てきた。コンビニで買ったスティックタイプの、十粒入りのやつ。
「落ちてたんで」
「あ、わざわざどうも」
百円ちょっとの、しかも食べかけの菓子だ。食べるのははばかられるとしても、捨ててしまって構わなかったのに。
ちらっと見た顔は、拗ねたように眉間にシワが寄っている。いかつくはないけど、細身で大きい洋犬みたいな、人を寄せ付けないまなざし。
「あのこれ、お詫びの水ようかんです。お嫌いでなければ」
交換するように差し出せば、男は案外素直に受け取った。紙袋の中をのぞき込んで、喜ぶでも嫌そうにするでもなく、小さくあごを引く。
「話、それだけ?」
「え? はあ、まあ」
「そう。じゃあ帰ってください」
まるで「箸取ってください」とでも言うかのように、ごくあっさりと男は言った。
「今から走りに行くんで」
「あ、ランニングですか」
「ええ。走って風呂入ってご飯食べてストレッチしてアロマ焚いて……もう出ないと、十時にベッド入れない」
いうだけ言って、男はあっさりドアを閉めた。閉まったドアの前に突っ立ってるのも不審なので、陽はいま来たばかりの道を戻り始める。
視線を上げれば、落ち切った太陽がまだうっすら空を照らし、雲の輪郭が朱鷺色に染まっていた。
いや、十時て。
思い出して噴き出した。
小学生か。ていうか、ストレッチやアロマって、そんな締切に追われるようにやるものなのか?
氷のうえでだらんと寝っ転がっていたシロクマが、あわてて起き出し準備体操を始める。もこもこした腕をぐんと伸ばして動き回る姿を妄想をしながら、陽は駅前のコンビニに入った。
よく冷えた水と、ビール――に手をかけ、やめる。
ただの気まぐれだ。けどきょうはなんだか、アルコールがなくても眠れる気がした。
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