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「ありがとうございました」
あれは冬の始まり。歌い終わった時、息が白くなりかけているような、そんな時期。
いつも通り駅前でギターを抱えたまま、そう言ってお辞儀をした時、ぱちぱちと小さな拍手が聴こえた。驚いて顔を上げれば、そこにいたのは同じ色のブレザーに身を包んだ男の人。
びっくりしたままそちらを見ていれば、突然声をかけてくる。
「名前、何て言うの」
「え? あ、あの……」
「あ、自分から名乗るべきだったよね」
ごめんごめん、と笑い交じりにマフラーをさげて笑う。
「僕の名前は、さいとうりく。一番難しい齋藤に、理科の理に空で理空。君と同じ学校の2年です」
丁寧に自分の漢字までそう説明した彼は、「君は?」ともう一度わたしに訊く。
「わたし、は笹原美心。パンダが食べる笹に、原っぱの原、美しい心で美心です」
相手にのまれたように答えてしまってハッとする。さっきまで弾いていたギターのネックをぎゅっと握って恐る恐る目の前の男の人の顔を見る。
「みここちゃん? あのさ、単刀直入に言うんだけど」
先輩の口から聴こえたわたしの名前は、ひらがなの音がした。
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