忘れ物の気持ち

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     電車が駅を一つ通過する。奏恵はいつもこの電車は各駅停車にしか乗ったことがなかったから、普段停まる駅を飛ばす様子は少し新鮮だった。  確か次の駅も通過するはずだと思い、少し身を捩って、後ろの窓から外を見てみる。  速度をわずかに落とし、駅へと突入する車両。看板の文字はかろうじて読めず、人の表情もわからない。駅半ばほどを越えた辺りで、あっと声をあげ、立ち上がりかけた。  車両はそのまま駅を通り過ぎ、再びスピードに乗る。  車内にいるわずかな視線が自分に集まるのを感じて、素知らぬ顔で誤魔化しながら座り直す。  化粧ポーチを出そうとバッグを探る。奏恵にとってのルーティーンだった。化粧が、ではなく、バッグを漁るという行為自体が。  趣味の悪いブローチを跳ね除け、百合柄の刺繍が入ったポーチを取り出す一連の中で、彼女の心は幾分か落ち着いた。  勘違いだ。服装が似ていただけだ。  あのホームに立っていたのは弓塚秀ではない。  頭の中では結論を出せたが、ポーチを持つ手は、まだ少し震えていた。
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