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 気がつくと、鏡の様子は元に戻っていた。  そこに写っているのは、げっそりとした表情を浮かべている友紀の姿だった。  階段の踊り場に、藍鼠色の薄暗闇だけがひっそりと佇んでいる。  幻だったのだろうか。  それとも、白昼夢の類か。  それにしては、あまりにもハッキリとしたヴィジョンだった。  確かにあの日起きた事が、そこに映し出されている様にしか思えなかった。 (そうだ……私はずっと後悔していた)  あの日、友紀は由佳を救えなかった。  だから、せめてこれから出会う子供達のことは精一杯の力で守りたいと思った。  その為に勉強して教師になった。  そう、その為だったのに。 (そのキッカケすら、忘れてしまっていた)  初めに抱いていた志ざしはどこへやら、今の友紀はただ日々の業務に疲れ果てるばかりで、いつも面倒事から逃げようとしていた。  あげく、都合の良いタイミングで亮二から結婚を申し込まれたのをいい事に、教師を辞めようとしている。  あれから、誰かを助ける事が出来ただろうか。  あの日見捨てた由佳の代わりに、たった一人でも生徒を理不尽から守り通す事が出来ただろうか。 (……私はまだ、出来ていない)  ぎゅ、と下唇を噛み締める。  これでは、あの時と同じだ。  自分が傷つくのが怖くて逃げ出す事しか出来なかった、ひ弱な少女だった自分と何も変わらない。 (あと少し……頑張ってみるか)  友紀の心境に変化が起きていた。  鏡に映ったあの日の記憶。  それは確かに、友紀の「忘れ物」だった。  痛みを伴う深い後悔。  そしてそこを原点にして生まれた気持ち。  教師を志した、最初の理由。  それを、ここで全て思い出す事ができた。  溝呂木由佳の教えてくれた学校の怪談。  ある筈のない「忘れ物」が映るという、この大鏡の前で。 (もしかして……私に離職を思い留ませる為に、こうして姿を見せてくれたのかな)  友紀は再度、目の前の鏡を見つめた。  校舎には、ここにいた沢山の生徒達の記憶が宿っている様に思える。友紀が見たのは、その蓄積された記憶の一部が見せる、夢のようなものなのかもしれない、 (ありがとう。……そして、ごめんね)  友紀は小さく頭を下げた。  教師を目指した気持ちを思い出させてくれた事への感謝と、あの日見捨てた溝呂木由佳への謝罪の気持ちを込めた一礼だった。  辺りを見渡すと、もう随分と暗くなってしまっていた。  もう職員も誰も残っていないかもしれない。急いで帰宅しなければ。  友紀は踵を返して、職員室へと戻ろうとした。  その時だった。
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