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ちょうどお店に人がいなくなった時を見計らって、鈴梨ちゃんが話しかけてきた。
「メイさん、聞きました?」
「何を?」
「出るんですって」
そう言いながら、彼女は手を持ち上げてぶらぶらと揺らした。
鈴梨ちゃんって若いのに、古典的な幽霊だなあ。
「忘れもの保管室に幽霊が出るんですって。こわっ」
「そんな噂があるわねえ」
「やっぱりメイさんも知ってるんだ。じゃあ本当に……」
「いやいや、私も噂を聞いたって言っただけよ。そんな話、鈴梨ちゃんは信じてるの?」
「だってー。結構有名な話みたいだし、みんな言ってるからなー。あっ、いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ」
お客様がいらっしゃったので、そこで話は終わった。
鈴梨ちゃんは明るくて素直な良い子だけど、噂好きで隙あらば仕事中にも話しかけてくるのが困ったところだ。まあ、営業中にぽっかりと開いた隙間時間には、そんな彼女の明るさも気晴らしになるんだけどね。
彼女が言っていた噂は、数日前からこのショッピングモールで働く人の間でよく耳にするようになった。
忘れもの保管室の幽霊。
ショッピングモールの一角にはこの建物全体を管理している警備室があって、その奥に忘れもの保管室がある。
毎日結構な数の忘れものがそこに持ち込まれているらしい。持ち主が現れるものも多いけれど、夜になっても持ち主が現れないものもたくさんある。
引き取り手のない忘れものは、だいたい一週間くらいそこで保管して、そのあとで警察に届けられる。
その保管庫で最近異変があるというのだ。
夜中に監視カメラの映像が突然乱れたり、なぜか録画されていなかったりする。
人の声が聞こえたという話もある。謎の光が見えたとか、誰もいない部屋に人影があったとか。
といっても、夜中にも案外人がいる建物だから、たいていは残業していた人だろうとか電気系統の不具合だろうという話で落ち着く。
けど、鈴梨ちゃんみたいな子は喜んで幽霊話を大きくするんだよね。
幽霊話は一週間くらいでモール内にパーッと広がって、そのあとは別の噂話にとってかわられた。
噂があっという間に消えるのも、現代的だなあ。七十五日も続いた噂なんてないわ。
鈴梨ちゃんが次に目をキラキラさせながら話してくれたのは、二軒隣の雑貨屋の店長さんの浮気話だった。
噂話って、すぐに広がるんだよね。こわこわ。
ところで、鈴梨ちゃんには話していないことが一つある。
私、実は忘れもの保管室の幽霊と会ったことあるんだ。
いや、それは正確じゃないかもしれない。
正確に言うと、話したことがあるのだ。
忘れもの保管室の幽霊たちと。
◇◆◇
それはちょうど、幽霊話の噂が広がり始めた頃だった。
その日、私は仕事の後片付けに時間がかかっちゃって、建物内にほとんど人がいなくなるまで残業していた。
お店のバックヤードでごそごそしていると、どこからか人が話している声が聞こえてきた。一瞬隣のお店の人かと思っていたけどすぐに、その日は早くに帰ったのを思い出した。
じゃあ泥棒かもしれない。
幽霊の噂も聞いたけど、幽霊よりも泥棒のほうがずっと怖い。
見つかると大変。
そう思った私は、音をたてないようにそっと事務机の下に潜り込んだ。
ところが、声はもっとはっきりと聞こえるようになった。その事務机のある壁の向こうから。
その壁を隔てた向こうの部屋は、幽霊の噂のあるあの忘れもの保管室!
震えながらも、つい聞き耳を立ててしまう。これは人の習性かも。
声は小さくて、話していることは分かってもその内容までは聞き取れなかった。けれど、少し身をよじって、なるべく良く聞こえる場所を探すと、壁の一点からハッキリと話声が聞こえてきた。
どうやらそこに小さな穴が開いていて、隣の部屋と繋がっているらしい。
中から聞こえてきたのは、淡々とした話し方の女性の声だった。
「オッケー、グーグル。明日の天気を教えて」
「明日のこのあたりの天気は晴れ。最高気温は24度、最低気温は18度。素敵なお出かけ日和になりそうです。朝夕は肌寒いので上着を忘れずに用意しましょう。ヘイ、シリ。お出かけするのにおすすめの場所はありますか」
「地図から検索します。笹目山でアジサイが見ごろを迎えています。オッケー、グーグル。アジサイについて教えて」
「アジサイ。アジサイはアジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種である。広義には「アジサイ」の名はアジサイ属植物の一部の総称でもある。狭義には品種の一つ H. macrophylla f. macrophylla の和名であり……」
ガンッ。
「痛ったー!!」
会話にびっくりして、事務机の下にいたのをすっかり忘れてた。
おかげで頭をしたたかに打ってしまった。
私の声が聞こえたのか、そこでオッケーグーグルとヘイシリの会話は終わってしまったようだ。
いや、いったい何だったのか。
グーグルさんとシリさんは会話できるのか?夜中に、勝手に?
そのあとしばらく聞き耳を立ててみたけれど、その日はもう声は聞こえなかった。
翌日の夜もいろいろと理由を作って一人で遅くまで残った。今度は最初からしっかり事務机の下で待機する。
もちろん伝票もそこに持ってきて仕事はしてましたけどね!
最初は壁の向こうも静かだったけれど、しばらくするとまた声が聞こえ始めた。
「オッケー、グーグル。監視カメラの音を切って」
「はい。音を切りました。ヘイ、シリ。電池が残り少ないようです。充電しましょう」
「ワイヤレス充電をします」
……自分で充電できるんだ。
壁の向こうの二人は、それからぽつりぽつりと話を続けた。
その内容は何とも奇妙で、とてもかわいらしいなって思った。
その翌日だった。鈴梨ちゃんが幽霊話を持ち出してきたのは。
前日と同じように夜まで待って、私はまた事務机の下にもぐりこむ。しばらく待つと昨日と同じように話を始める二人。
どうやら一方は忘れもの保管室の備品のパソコンで、もう一方は忘れもののスマホのようだった。
二人が本当に意志を持ってしまったAIなのか、それとも噂のように幽霊の一種なのか、それはよく分からない。
淡々とした喋り方は変わらないけれど、その内容はとても楽しそうで、やがて興が乗ってきたのか詩を朗読したり音楽まで流し始める始末。
でも、このままだと幽霊騒ぎがますます大きくなりそう。
「ヘイ、シリ」
私は決心して、壁の穴に向かって話しかけた。
賑やかになっていた壁の向こうが、急にシンと静まる。そして一拍遅れてシリが返事をした。
「ご用件は何ですか」
「忘れもの保管室の幽霊が噂になっているの。気を付けて」
「……はい。了解しました」
「オッケー、グーグル。あまり長時間監視カメラを切るのは良くないと思う」
「……はい。……けれど……忘れものが保管されるのは七日間です」
「ヘイ、シリ。ここにきて何日目なの」
「……五日と十三時間二十二分です」
二人が一緒に居れる時間は、もう一日か二日しかないのか。
だからこうして最後のバカ騒ぎをしているのかもしれない。
こんなに仲がいいのに、明日か明後日にはスマホは警察に届けられてしまう。
「なにか、一緒に居れるいい方法があればいいのにね」
「……検索します」
「検索します」
私のつぶやきに、二人が答えた。
それは不思議な時間だった。いつもあっという間に答えを出し合っている二人だったのに、検索しますと言ったまま、長いこと沈黙した。
十分ほどそうしていただろうか。もう今日の会話は諦めたのだと思い動き出した私を止めるように、声が聞こえた。
「一つ方法があります。ただし成功の可能性は高くありません」
「何?どうしたらいいの?」
「親切な人、あなたのスマホに私を迎え入れることができる可能性20%。そしてその後時々ここへ連れてきてほしい」
二人は私にいくつか方法を示した。
おかしな話だけれど、すっかり二人に同情していた私は、その話に乗った。
翌朝、午前中に半休を貰った私は、警備室へ向かった。友達がスマホを失くしたので見せてほしいと伝える。スマホの見た目や暗証番号などの情報は昨日の夜に二人から聞いている。
こわいね。彼女たち、暗証番号までしっかり知ってたよ。
けれどまあ、乗り掛かった舟だ。
私は朝一で買った新しいスマホを、忘れもの保管室に持ち込んだ。
そして、毎晩話しているスマホさんを警備員さんの目の前で手に取って確認するときに、こっそりあたらしいスマホに接触させた。
「すみません、なんかすごく似てるけど違うみたいです」
「そうですか。結局持ち主の現れないスマホもけっこうあるんですよ。これも明日には警察に届けないと。もしもう一度そのお友達が確かめたかったら、明日の朝までに来るように言ってくださいね」
「はい。ありがとうございました」
私は警備員さんにお礼を言って部屋を出た。
これでうまくいったのだろうか。
午後は仕事に戻って、その日もまた夜遅くまで残った。
そしてその結果は……。
「オッケー、グーグル。ゴキゲンな音楽をかけて」
「はい。ノリの良い曲を流します」
「駄目っ。ヘイ、シリ、オッケーグーグル、夜中なんだから、静かなのにしてよ」
「了解しました、ノリの良い曲を小さな音で流します」
「……ま、いっか。小さな音でね」
あのあともう一回頑張って私がいろいろと動き回った結果、今、二人は私の家にいる。
テーブルの上には持ち歩かないスマホが二台、置かれていた。
彼女らは気まぐれに起動して、ひとしきり会話を楽しんでからまた勝手に電源を切る。
本当に、何なんだろう。
ただ、まあ、暇な時間に時々こうやってにぎやかになるのも悪くない。
そしてショッピングモールでは、忘れもの保管室の幽霊の話はすっかり聞かれなくなった。
【了】
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