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 飲み会を境に、雪森はちょくちょく冬木のアパートに泊まりに来るようになった。  最初は、眠さの限界で運転できないから、という理由だった。冬木がそろそろ寝ようと歯磨きをしていた時に玄関のインターホンが鳴り、こんな時間に一体誰だと外を見ると、そこに雪森が立っていたのだ。  驚いてどうしたのかと聞くと、就業時間ぎりぎりに急患室に運ばれてきた患者を診た帰りだと言う。必要な検査を一通りしたところ入院が必要となった為、家族に病状説明をしようとしたら彼方の事情があってかなり遅くなってしまったらしい。  前日が当直だったので、今運転したら事故る気がするなどと言うので、気の毒に思って布団を貸した。  しかしそれからというもの、はじめの方こそもっともらしい理由があった気もするが、次第に「寝る為だけに帰るの面倒臭い」などという理由で泊まりに来るようになった。  図々しさも突き抜けるといっそ清々しく、向こうが気を遣わないならこちらもいいや、と雪森が部屋にいても気にせず好きに過ごした。同じ部屋にいても、それぞれが自分のやりたいことを勝手にやっている。誰かと一緒にいるあたたかさはあるけれど、自分の時間は持てている。それが思いの外、心地よかった。  就職で今の地域に越してきた冬木には、近くで会える範囲に気を許せるような友人がいない。気を遣わず話せる雪森との時間は悪くなく、寧ろ最近では楽しいとすら思うようになっていた。  とはいえ、基本、雪森は何の連絡も無くふらっとやって来る。  一度、オンコール当番で呼び出されていた時に来てしまったことがあった。それは雨の晩で、玄関ドアへと続き、それから引き返したとみられる濡れた足跡を見て驚いた冬木は、〈来る時はせめて連絡しなよ〉とメッセージを送ったのだった。  連絡先を教え合ってはいたが、使ったことは無く、冬木が雪森に連絡をしたのはこれが初めてだった。  雪森からのメッセージを受け取るのもこれまた初めてだったが、返信は、絵文字など無い〈了解〉の一言のみという想像通りの簡潔さだった。  しかしそれからというもの、雪森は来る前には必ずメッセージを寄越すようになった。 〈今日いい?〉  送られてくるのは、毎回同じ、短い一文だった。けれど、その素っ気ない程に簡潔なメッセージにさえも、心を浮つかせている自分がいた。  はじめは認めるのが恥ずかしかった。しかし、夕方にスマートフォンの通知音が鳴る度に、胸をそわそわさせながら画面を確認していることは否めない。そしてその通知が雪森以外の誰かだったりすれば、肩透かしをくらったような気持ちになっている自分がいる。  これまで一人で寂しいということは無かった、そう思っていた。しかし、雪森と過ごす時間が増えるにつれ、実はそうでも無かったのかもしれないと考え始めていた。それは自分でも戸惑ってしまう種類の発見だった。  今日も、冬木は仕事が終わるとスマートフォンのマナーモードを解除する。帰宅すると、テレビの傍らに立てて置いた。そこは部屋のどこからでも画面が確認出来る、この頃のスマートフォンの定位置だった。  
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