星の夜は宙船に乗って

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「明日から、いや、今日からうちに来い。大丈夫、まかしとけ。大舟に乗った気でいなよ。俺が船頭さんしてやるから」 「やる気あンなら、俺はお前に全部教える。全部だよ」 ──そう言われたあの日、帰る家のないおれは師匠の大舟に乗った。 「おーい、星夜(しょうや)。そろそろ行こうか」 「師匠(てつさん)、厳島神社は行きます?」 星夜はマンションの玄関を開け、檳榔子黒(びんろうじぐろ)の羽織を纏う「師匠」が出て来るのを待つ。銀器の細工職人であるふたり。河を望む通りにある工房兼店舗で製作するものは、大型の花器から定番のカトラリー、ブライダル向けのアクセサリーなど様々。 「おう、担げるものは全部担げ」  着物の裾が持ち上げられる。(あさ)(はな)()の正絹から足の甲がすっと伸び、師匠の足袋が草履の鼻緒を掴む。見慣れた工房での作務衣とは違う、この瞬間(とき)を見る度、星夜は師匠の仕草に見惚れてしまう。  これから向かうのは師匠の実家。星夜が正式に養子となった報告に行くのだ。 「みんな知ってんだ、緊張する必要なんかねえよ?」 「てつさんはそう言ってくれると思ってました。でも、今日はやっぱり」  マンションを出ると、はらはらと桜の花びら。以前住んでいたビルからも桜の花筏がいくつも見えたが、ここは比ではない。陽の光のように降り注ぐ。それを知った「師匠」がここへ住むと決めた。  家族になったふたりが過ごす場所だと。  坂を登り、「お伊勢さん」でお札をいただいてから、「師匠の実家」へ向かう。ふた駅先の大きな商店街。観光客と地元民が入り混じる。まだ約束まで時間があるというので、星夜は裏通りにあるカフェに寄ることを提案した。  「師匠」が店先に歩みを進めると、佇む猫たちがサッと逃げて、塀の上からこちらを伺う。 「あ……、今日は鎌倉の親方(おじさま)もいらっしゃるんですよね?」 思い出したように星夜が尋ねる。ずっと気になっていたのだが、聞けるタイミングがなかなか訪れなかった。 「親方(おじさん)は来る。でもあいつは来ねえや」 「そうですか……」 「あいつは昔から、ずっと、自分の都合ばっかりいいやがって」 「違いますよ、御曹司は御曹司なりに、自由にしていいっていってるんです」 「わるいなあ、お前にそんなこと言わしちまって」  店には男性客がひとり。中央の大きな石のテーブルを挟み、向かい側のソファに落ち着いた。顔を上げた男性客は「師匠」に気づいて挨拶をひとつ。近くにある一軒家レストランのオーナーシェフだ。 「俺はあいつのことが理解できねえな昔から。細工も、あんなに繊細に、性格まで全部出るようじゃ無理だっていったんだ」 「でも今は一人前にされてるから」 「おじさん達のおかげだよ。あっちには悪いけども、もし俺になんかあったらそん時はちっとの間借してくれって頼んであるから、な」 「はいはい。そんなずっと先の話いいんですよ」 運ばれてきたコーヒーに砂糖とミルク。添えられた小さな豆菓子を「師匠」がつまむ。 「てつさんはちゃんと、御曹司のこと信頼してますね」  星夜が御曹司と呼ぶ「師匠」の実子は、鎌倉の親方のところにずっと預けられている。決して仲のいい親子ではないが、強固な繋がりと血の濃さを感じる時、星夜は御曹司に嫉妬してしまう。  目の前で両親を失い、家を失い、大学へも行けず、通りのベンチでパン屋のウィンドウを見ながら、公園で汲んだ水を飲んでいた星夜。それを見つけて家へ連れ帰ったのは自分の息子のことが理解できず、冷たく突き放した自分に戸惑う「師匠」。  その後、星夜の両親と親しかったひとたちが消えた自分を探し回ってくれたと知った。自分はその人たちに支えられ、今日まで生きてこられた。今後も「師匠」を支えていくこと、街に貢献することで恩を返そうと考えている。 「この子がうちの次男坊。これからここに置かしてもらうアクセサリーも、()()()がやるから」 「師匠」がこのカフェのオーナーに話して、向かいに座るシェフの斎さんもそれを聞きながら頷づいている。  師匠の指には、星夜が作った太めのシルバーリング。白釉(はくゆう)が星雲のようだと、「師匠」は笑っていた。 「てつさん、今日から御曹司が店に来ます」  星夜は部屋に飾られた小さな写真に話しかけた。 「俺はお前に全部教える。全部だよ。お前は俺の全部なんだ」  愛するひとの、その言葉を何度もなぞって。  手に嵌めた指輪に触れ、目を閉じた。 「家も、店も、てつさんの全部(おおふね)、おれが守りますから」
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