2話目

7/7
前へ
/128ページ
次へ
「仕事中に立ち読みですか?」井口が突然背後から話しかけてきた。 「わっ! まだいたんだ」私は飛び上がって雑誌を落としそうになっていた。 「店長に頼まれていた仕事があって、店の裏にいました。駄目ですよサボったら。ところで何を読んでいたんですか?」井口は雑誌を覗き込む。「矢野明日香ですか。ミーハーですね」 「人気あるからどんな感じなのかなと思って……」 「読む価値ないですよ。資源ゴミで出さないで燃えるゴミで出したほうがいいくらいです」 「なんで?」 「矢野明日香は漫画やインタビューの中で匂わせをするんです。ほとんどの新参読者は気付いていませんけど」 「例えば?」 「そのインタビュー記事の写真もそうですよ。被り物をして顔を隠していますけど、照れ隠しとかじゃなくて、別れた夫へのメッセージですよ。『すなっふ倶楽部』の作中で被り物をしながらオークションをするシーンがあったじゃないですか。あの時に登場する被り物と似ているんです。つまり読者に向けてのものじゃなくて、元夫へのメッセージなんです」 「考えすぎだって!」私は大声で笑っていた。 「僕は意外に正解だと思いますよ。矢野明日香は渡辺ロイの妻である前にファンなんですよ。結局は離婚しましたけど、やっぱりファンであることは変わらない。それで漫画を利用して匂わせている。でも読者からすると本当に迷惑なんです。邪魔なだけ。超ノイズ」 「なるほど……」 「それでは僕は帰ります」井口は言いたいことを言うと、店外に飛び出して闇の中に消えていくのだった。  仕事を終えて早朝に帰宅。昨日とは違い電話で起こされる事はないのだが、癖で昼前に目覚めてしまうのだった。  依頼された漫画を描こう。未だにタイトルすら分からないが、私が気にする事ではない。登場人物に全く愛着がないまま描くのは初めてだ。  一度スイッチが入ると時間が経つのはあっという間で、気がつくと夕方になっていた。起きてからまだ何も食べていない。  こんな生活を繰り返し、また金曜日がやってきた。完成した2話目を持って深夜勤務に勤しんでいると、ニット帽を被った無口バージョンの賢也がやってきて、分厚い封筒をカウンターに置いた。そして原稿の入った薄っぺらな封筒を持っていく。後ろめたい気持ちになってしまうが、本人が満足しているのならこれでも等価交換なのだ。
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加