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2話目
最初の報酬を受け取った日の勤務は散々だった。無意識のうちに顔が笑っていたのだろう。ほとんどの客が私を不思議そうに見ていた。深夜のうちに終わらせておかなければいけない仕事をそのまま放置してしまい、朝方に出勤してきたパートの鈴竹広美さんに叱られたが、全然腹が立たない。仕事が終わるとそそくさとマンションに帰った。
自宅に到着するとキングベッドで横になり、天井を見上げながら喜びを噛み締めていた。税金の掛からない100万円をゲットしたのだ。まだここでの生活を続けられる。その間に新作を描いてもう一度ヒットさせてやろうかな。そんな情熱の火種が心でくすぶっていたがすぐに鎮火した。
「先生、おはようございます!」賢也の元気な声は目覚ましのアラームよりも騒がしい。
「……おはようございます」
「読みました。1話を読みましたよ。やっぱり上手いですね。流石です。全然手を抜かずに細かいところまで描き込まれていて嬉しかったです」
「引き受けた以上は、プロとしての意地がありますので」
「さっそく2話に入りたいのですが、いいですか?」
「……はい」
「2話はなぎさの中学生時代になります。なぎさは先輩と交際して妊娠を経験します」
「え? 妊娠ですか……中学生で」
「この漫画は事実を元にしたフィクションです」
「……そうですよね」
「お腹が大きくなるのを親に隠す様子を描いてほしいです。大きな服を着たり、妊娠しているのにダイエットしたりとかです。最後のページは先輩から別れを告げられるシーンにしてください」
「4ページで未成年の葛藤を描くのは短い気がするのですが、いいんですか?」
「先生は言われた通りに漫画を描くという約束ですよね。先生にこんな事を言うのは申し訳ないのですが、内容に口を出してほしくないのですが……」
「すみません。とりあえずネームを描いて送りますね」
「お願いします」
私は電話を切ると、何も食べていないのに胃がムカついていた。インスタントコーヒーをすすり、カーテンを開いてタワーマンション上階からの展望を眺めていた。住み始めた頃は興奮していたが慣れてしまえばどうってことはない景色だ。人間関係も一緒である。賢也は生意気な奴に感じるが、自分の子供だと思えばあんなものだろう。元来若者は生意気なのだ。
妊娠した女子中学生の心境を想像していると、自分の娘の顔が浮かんできた。今年高校に進学したばかりだ。
私はカレンダーを見て落ち着きを失っていた。コーヒーカップをテーブルに置くと、急いで歯を磨いた。毎月一度だけ娘と会えるのだが、それが今日だったのだ。いつもこの日を楽しみにしてきたのに、当日になるまで気付かなかった。
シャワーを浴びずに昨日と同じTシャツを着ると、顎ヒゲが襟元で音を立てていたが剃る暇はない。地下駐車場に降りて、一ヶ月ぶりにレクサスのエンジンを掛けた。待ち合わせ場所はいつも同じ。繁華街のコーヒーショップ。立体駐車場が近くにあるので便利だった。
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