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⑨僕は置きにいきたくない
ふと思った。これ、エッセイなのか……そもそもエッセイがなにかよくわからず書きはじめてしまったからもはやなにを書いているのかすら曖昧である。
ま、まあ……いいだろう。そんなの、些細な問題に過ぎない。とにかく僕は、言い訳ができればいいのである……!
タクヤが消えたあとの世界において、もはや僕はただ理由もなく女の子のフリをする変態でしかなくなった。タクヤのいない世界において、女の子のフリなどする意味もない。しかし、女の子のフリを辞めるには、すでに知り合いが増えすぎていた。すべてタクヤの繋がりで知り合ったプレイヤーたち。およそ十名程度であったが、そこまで親密でもない彼らを前にして「実は僕は男なんだ」とカミングアウトする機会などなく、ひきつづき女の子として生きていくことを余儀なくされた。
タクヤが消えた理由はわからなかった。知り合いの人たちもタクヤの消息は知らなかった。よく考えれば、リアルにおける年齢も性別も不明だった。受験勉強が忙しくなったのかもしれないし、彼女ができてゲームどころじゃなくなったのかもしれない(だとしたらやはりデート先は江ノ島か軽井沢だろう)。ただ単純に飽きたのかもしれない。この世界はあくまで仮想空間であり、リアルでなにが起きたかなんてわからないし、わかったところでなにも出来ないのだ。
タクヤが消えたあとも女の子をつづけた僕は、徐々にに女性らしさを極めつつあった。もはや意地に近かった。ネカマがバレることほど恥ずかしいことはない。しかも、いまとなってはネカマを始めた理由すら失ってしまっているのだから、余計に罪深く、恥ずかしい。
僕は「ネカマとバレない女の子としての話し方」といった記事や、「女の子のフリをして男を騙す」ための出会い系の記事など、ありとあらゆる情報を読み漁った。
一人称はいつの間にか「私」から「わたし」、そして「あたし」へと変化していった。理由はよく思い出せないが、なんとなくAYAKAは「あたし」がしっくりきた。
よく、MMOの女性プレイヤーで「うち」という一人称を使うやつがいるが、あの一人称は地雷である。はっきりと言っておく。「うち」と自称する女性プレイヤーのうち、おそらく八割以上がネカマである。
……なぜか。
それはきっと罪悪感と羞恥心が理由である。「私」だと擬態として中途半端(男も使う人称)である。「わたし」や「あたし」を使うにはそれなりの勇気がいる(また、バレたときのダメージが大きい)。それらを考慮した結果、無難に「うち」という人称に置きにいってしまうのである。
どのような競技、種目においても置きにいくのはよくない。その先に見えるのは死、一択である。
僕は躊躇なく、「あたし」と自称することにしていた。バレなきゃいいのだ。やるからには完璧に擬態してやろうと考えた。
絵文字とかきらきらした文字は使わないことにした。使ったこともないし、そもそも使いかたもわからない。無理はしないほうがいいのである。無理もまた死、一択である。
一人称は「あたし」。しかし、それ以外はごく自然に日常の僕と同じようなしゃべりかたに徹した。それが逆に功を奏した。ぶっきらぼうな話し方をするAYAKAは逆に女性としてリアルだった。きらきらした文章や絵文字を使うような陽キャはそもそもMMOなどプレイしないのだ。それをわきまえないネカマ勢は、無理に使いこなせもしないきらきら絵文字を使用して、自爆していく。
擬態を極めるうちに、AYAKAはただのネカマではなくなっていった。モラルも、罪の意識すらない、ガチのネカマとなっていった。
AYAKAはMMOをプレイしてそうな女性としてパーフェクトだった。飾り気がなく、裏表もない。ユーモアにあふれ、男性的な話題でも盛り上がれる。そのように振る舞うことで友人を増やしていった。
僕は次第に嘘をつくことに。その嘘にさらなる嘘を重ねることに。女性として振る舞い、他者に信じ込ませることに。
──もはや快感すら覚えはじめていた。
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