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⑭僕はまだ死にたくない
それは僕がひとりで首都アレツノープの北側、雪の街エイトゥルに向かった日のことだった。エイトゥルという街に行くのは初めてだった。その日は、たまたまギルドメンバーもフレンドも誰もログインしていなくて、ずいぶんと暇を持て余していた。僕は特にやることもないから、これを機に未開放だったMAPを解放しておこうと思い、行ったことのない北側エリアの散策に向かったのである。
雪の街エイトゥルの街並みはとても幻想的だった。見渡すかぎり、一面の銀世界。空から舞い落ちる粉雪は絶えることなく、眩しいくらいにきらめいている。まるでおもちゃやお菓子で作ったような家々が建ち並び、サンタクロースや雪だるまのオブジェが可愛らしく飾られていた。
その街は年中無休でクリスマスの街だった。きっと子どもたちは毎晩プレゼントを楽しみにしていて、母親は毎晩のように笑顔で七面鳥を焼くのだろう。僕は毎日のように捌かれる七面鳥に同情し、生まれ変わってもエイトゥルの七面鳥にだけはなりたくないなと思った。いや、七面鳥じゃなくてもエイトゥルに生まれるのは勘弁だな。なんせ、お正月が来ないのだ。たぶんエイトゥルのひとたちは餅も臼も、なんなら杵でさえ存在を知らないのだろう。お正月のない人生なんて考えられない。僕はお正月が大好きなんだ。
……また話が逸れた。元に戻したい。
街の北西部に「がらくた工場」という建物があった。それはどうやら街中に堂々と建っているにもかかわらず、超高レベル帯のダンジョンになっているらしかった。なんとなく嫌な予感はしたが、好奇心のほうが勝った。僕は吸い込まれるように、なにかに引き寄せられるかのように、その建物のなかへと入っていった。
工場のなかでは、やはり僕のレベルじゃ到底敵わないようなモンスターたちが、うようよとしていた。嫌な予感は的中だった。見た目は可愛いモンスターばかりだった。プレゼントに目のついたようなやつ、おもちゃの兵隊さんみたいなやつ。そんな感じのちょっと弱そうな見た目。でも、そいつらは見た目によらず、めちゃくちゃ凶暴だった。すれ違っただけでも容赦なく殴りかかってきた。僕のHPゲージはそのたびに真っ赤になり、瀕死の状態になった。
僕は、ありったけの回復ドリンクをぐびぐびと飲みながら、追いかけてくる屈強なモンスターたちから逃げ回った。なんでこんなところに来ちゃったんだろう、なんでこんなに回復ドリンクをがぶ飲みしてるんだろう。僕はいまさらそんなことを思いながら、ただひたすら泣き顔で走りつづけた。現実であればとっくにお腹が痛くなり走れなくなっていたことだろう。
逃げ回るうちにたどり着いたのは、トランプのおばけのようなパーテーションが無作為に立ち並び、ほかの敷地とはあきらかに隔絶されたエリア。なんだかいままで以上に異様な雰囲気を感じたが、不思議とその周辺にだけはモンスターが湧いていなかった。
しつこく追いかけてくる屈強なモンスターたちからなんとか逃げのびたことに安堵し、僕は力が抜けたように地べたに座り込んだ。帰り道はわからず、途方に暮れていたがモンスターに襲われつづけるよりは、ずいぶんとマシだった。がぶ飲みしつづけた回復ドリンクもすでに底をついていた。
──死を、予感していた。
帰り道もわからない。モンスターとすれ違っただけで瀕死になる。回復ドリンクも底をついた。もう、死ぬかもしれない。大丈夫、実際に命が無くなるわけじゃないんだ。どうせ死んでも、また目覚めたらアレツノープの街に戻っている。現実とは違うんだ。多少のデスペナルティはあるかもしれないが、一生こんなところで暮らすよりはマシである。
そう、思いはじめた矢先。僕のすぐそばに一匹のモンスターが沸いた。少女のような見た目だが、右手には包丁を握り、肩がけのバックの中から小鬼が顔を出していた。なにやら困ったような表情のそのモンスターは、僕を襲ってくるわけでもなく、ただ隣で、じーっと地べたに座り込む僕を見つめてきていた。
そうだ、こいつに殺ってもらおうかな。もう、ひとおもいに。その手に持つ包丁で、グサッと……。そんな考えが脳裏をよぎる。でも、その前に一度だけ最後の抵抗をみせてやろう、そう思った。
僕はギルドログイン画面を覗く。やっぱり僕以外のメンバーは不在。フレンド欄も覗く。助けてくれそうなフレンドも不在。やむを得ない。最後の賭けだ。僕は勇気を出して、祈るように目を閉じて、世界チャットに対して呼びかけた。
「だれか、助けて──」と。
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