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その時、「もしもーし」という声がして、修司がしんみりした雰囲気を変えてくれた。
もう一度六道さんの話を繰り返すと、修司は「そういえば神坂の親父はホシクラの社員だったよな?」と言い出した。
「もしかして体育館を水浸しにしたり貸切バスを勝手にキャンセルしたのは、神坂の親父だったりしてな」
「えー? 自分も子どもの頃にミニバスやってたのに、後輩たちやコーチに嫌がらせしますかね?」
「詳細を知らなくて上司に言われるがままにやっちまって後悔したんじゃないか? それを苦に自殺したとか」
「それぐらいのことって言ったら悪いけど、警察に"いたずら"扱いされる程度の微罪で自分だけじゃなく妻子の命も奪う? それに時期が一致しないよ」
「そうか? 時系列どうなってる?」
修司が混乱するのも無理はない。当時、安納寺で反対運動を間近で見ていた私ですら、頭の中がぐちゃぐちゃしているんだから。
「えっとね、反対派の住民たちが次々に離脱していったのが、私が小学3年生の夏ごろだった。で、大学教授が推進派に鞍替えしたのが秋口だったかな」
私が覚えているのはそこまでだ。翌年の1月にお母さんが出ていって3学期が終わるとすぐに花房市に引っ越してしまったから。
「六道さんが嫌がらせをされたのが10月から11月にかけてですよね。神坂の父が亡くなったのは翌年の11月です。1年経ってから、自分のしたことに気づくって遅すぎますね」
「じゃあ、神坂の親父は関係ないか」
「この辺りでは"石を投げればホシクラに当たる"って言われているぐらい、ホシクラやその関連企業の社員ばかりなんだよ。だから、真人の父の自殺と、ホシクラの反対派潰しを関連づけて考えるのは無理があると思う」
千冬も私も安納寺で生まれ育ったから同級生の親の大半がホシクラで、近所の住民もホシクラだらけということが当たり前の感覚だけど、県外出身者の修司にはピンと来なかったようだ。
「俺の方は雨宮さんに連絡とって、当時記者やってた人に引き合わせてもらうことになった。来週だけどな」
修司の話に「おー、凄いじゃん!」と言ったところで、オートロックのチャイムが鳴った。
「ごめん。誰か来たから、ちょっと抜けるね」
「今夜はこれで終わりにしますか。また進展があったら話すってことで」
「そうだな。じゃあ、おやすみ」
「え、そう? じゃあ、またね」
「おやすみなさい」
私はまだまだ話し足りない気分だったけど、千冬も修司もやけにあっさりと通話を終わらせてしまった。
心残りを感じながらも慌ててインターホンに「はーい」と答えたのに、モニターには誰も映っていなくて無音だった。
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