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日曜日。午後1時15分前に花房駅前の【アショーカ】に着いたけど、店の前に真人の姿はなかった。
どこかホッとしたのは、昨日シスターに結婚の話を聞いたせいかもしれない。
シスターは真人がノエルちゃんと結婚するつもりだということを『こっそり教えてくれた』と言っていたから、プロポーズはまだなのだろう。
それでも付き合っていれば、相手が自分との結婚を考えているかどうか何となく感づくものだ。
ああ、だからファミレスでの聞き取りが終わった後、あの2人はあんなにあっさり別々に帰っていったのか。
付き合っていないからではなく、遠からず一緒になるから。
「キナ! じゃなく相良さん。待たせちゃってごめん!」
駅の方から走ってきた真人は、ヘンリーネックの黒いTシャツにデニムパンツという意外な服装だった。
「いえ、私も今来たところです。……なんか若いですね」
キナとして会っていた頃は冬だったから、真人はいつも黒のカシミアのロングコートを着ていて大人のイメージだった。
9月生まれの真人はまだ誕生日を迎えていないから26歳。溌溂とした若さを見せつけられて、眩しさに目を眇めた。
「何、それ。相良さんも若いじゃん。ワンピース似合ってる」
「それはどーも。中に入りましょ」
先に立って【アショーカ】に入ったのは照れ隠しだ。
ヒマワリが大きく描かれたノースリーブワンピースは、私のような大柄な女じゃなきゃ着こなせない。
『似合ってる』と誉められて悪い気はしないけど、調査員として会うときはいつもパンツスーツだったから女らしくしすぎたかもしれない。
店内は入って右側が喫茶コーナーで、左側に雑貨が並べられていた。
何の香りだろう? ジャスミンのお香?
鼻をクンクンいわせていると、真人が「ここの紅茶、美味しいらしいよ」と私を喫茶コーナーへと促した。
そうか。キナが紅茶好きだったから、紅茶の美味しいお店を選んでくれたのか。
どうして【アショーカ】?と不思議に思っていたけど、仏教は関係なかったみたいだ。
一番奥のテーブルを選んだのは、宴の話なら他人に聞かれるのはマズいだろうと思ったから。
でも、店内に流れているインド音楽のおかげで他の客たちの話し声はよく聞こえないから、そこまで心配する必要はなかったかもしれない。
「で? お話ってなんでしょう」
居住まいを正して問いかけると、真人はメニューを見ながら「俺はダージリン・クイーンって奴を飲んでみようかな」と微笑んだ。
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