希望の光

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退院後、一番苦労したのは車の乗り降りだった。 大破した車の代わりに準備した新しい車が納車されたのが退院ギリギリだったこともあり、全く練習できない状態のまま自宅に帰ることになってしまったのだ。 娘の場合、足の感覚が無いだけではなく、自分の意志に関係なく突然曲がったり、棒のようにピンと伸びたりすることがある。 その法則を見つけるのは困難で、車に乗ろうとした瞬間に突然足が曲がったりすると車椅子から転落してしまう。 それが、いつ、どのタイミングで現れるのかがまだわからない為、車の乗り降りの際は常にドキドキしながらいつ落ちてもいいように待ち構えてなければいけない。 当初は介護用の車を購入しようと思っていたのだが、先生が「皆さん普通の車に乗られていますよ」と、言うので目から鱗だった。 いずれは自分で車を運転するようになるのだから、車に乗るのは介護車じゃない方がいい。 そんな事を言われて、確かにそうだなと思った。 今はまだ中学生であることもあって、車を運転する娘の姿を想像できないけれど、私だって一生べったりと娘の世話をするわけにはいかないのだ。 ふと、以前お会いしたT田さんの言葉を思い出す。 「出来なくなってしまった事も沢山あるけど、意外と自分でできる事なんて沢山あるのよ」 確かにそう言っていた。 この時の自分にはまだピンと来ない話ではあったが、こう言う小さな積み重ねが甘やかしに繋がっているのだと改めて気付かされる。 足が動かないのだから車は特殊車両じゃないといけない。完全な思い込みである。 退院後、一緒に日常生活をしていて気付いたことは、意外と何でも出来るのだという事。 娘は幸いにも、胸から下の感覚は無いが両腕は問題なく使える。 加えて、砲丸投げをやっていたという事もあり、力も強い。 だから、基本的な動作は問題なく行えるし、マジックハンドさえあれば大抵の物にも手が届く。 困るのは、買い物に行った時などの一般人の障害者に対するマナーが悪い。という事だろうか。 私の住んでいる地域だけなのかもしれないが当たり前のように、身障者用スペースに車を停める輩のなんと多い事か。 ある日、買い物をしようと近くのショッピングモールへ足を運んだところ、他にも沢山空いているスペースがあるにも関わらず、車内に人が乗った状態の車が身障者スペースに停まっていた。 娘が降りられないので、注意したところ60代と思しきおばさんは「ちょっとだけなので」とか何とか言いながら車内で孫らしき子供と共にアイスを食っていた。 そのちょっとの時間があれば車を動かすことが出来るのに。 もう一度窓を叩いて、娘が降りられないので退いてくださいと言うと、嫌な顔をしておばさんは去って行った。 あんな人に育てられた子供はきっと、何故身障者スペースが必要なのかわからないまま育ち、将来、やはり当然のように車をそこに停めるのだろう。 そう思うと、なんとも言えない気持ちになってしまう。 私は身障者用スペースに停めようと思った事はない。 だから、そう言う思いやりのない輩が一定数居ると言う事には、いままで気付けていなかった。 他にも駐車スペースは空いていた。なのに、店に近いと言う理由でそこに停める。 娘がまだ若く、車に乗っているだけでは歩けないとは気付けにくい。と言うのもあるだろう。 でも、その場所を退いてくれないと娘は降りられないのだ。 車椅子が乗り降りするためにはドアを全開にするスペースがどうしても必要になって来る。 もし、身障者用スペースが無い場合は、端の方に停めたりしてその場所を確保するのだが、混雑している場合などは駐車スペースじゃない場所にも停める不届き者が意外と沢山いる事に驚かされるばかりだ。 自分さえよければそれでいい。じゃなくて、もしかしたら困っている人が居るかもしれない。そう自然に考えられる人がもっと増えたらいいなとつくづく思う。
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