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新しい目標
娘が日常生活に復帰してから、今まで以上に慌ただしい日々が待っていた。朝は6時には家を出て学校へと送り届け、それから私は仕事へと向かう。
そして、学校の終わりに間に合うように、仕事を切り上げ迎えに行く。
パートになることも考えたが、私専用のタイムスケジュールを作ってくれて、足りない時間を有給と週休で賄うと言う方法で何とか常勤のままで行けるように考えてくれた上司には本当に感謝しかない。
学校に復帰したら、友だちから腫物に触れるような扱いを受けるのでは?
と、心配していたが私が事前に行った子供達への説明会が功を奏したのか、みんな普通に接してくれたと聞いて、取り敢えずはホッと胸を撫でおろした。
移動教室や、階段の上り下りなどは先生や、力のある男子生徒達が数人がかりで持ち上げて運んでくれているそうだ。
皆の優しさが申し訳ないけど、嬉しい。娘もそう言っていた。
そして、退院から数カ月。あっという間に受験シーズンが到来。
厳しい冬だった。体温調節が上手く出来ない娘は足元からどんどん体温を奪われて身体が冷えていく。
熱が出ないように暖房をガンガン効かせて保温ソックスを履かせたり、ヒートテックなどを重ね着させたり、色々な事を試した。
貼るカイロを貼ってやろうかと思ったのだが、感覚が無いので火傷をする可能性が高いのだと言う。火傷しても全く気付かず、気が付いたら皮膚がただれていた。なんてことがあると言うから驚きだ。
じゃぁせめて、ポケットに入れるタイプでも。と、思ったのだがなんとこれも、スカートのポケットに入れておくと、足が火傷してしまう。
脊損の人の体温調節の難しさを改めて感じた冬だった。
駆け足で受験シーズンを終え、合格発表の前日に行われた卒業式。
壇上には上がれない娘の為に校長先生がわざわざ下りて来て手渡しで卒業証書を渡してくれた。
皆と一緒に卒業式に出られるなんて、4月に事故に遭った時には夢にも思わなかった。
娘が泣いたのは、みんなと居る時ではなかった。教室では最後まで笑顔で過ごし、仲間たちと別れた後、先生達に最後の挨拶をしようと向かった職員室での事。
尊敬している陸上部の顧問の先生や、担任に囲まれ、これから頑張ってねと声を掛けられ、一番よくしてくれていたと言う先生に抱きしめられた時、娘はその日初めてぽろぽろと涙を零して泣いていた。
そんな娘を優しく抱きしめて頭を撫でてくれた先生の目にも涙が浮かんでいて、なんだかこちら迄胸が熱くなる。
娘は本当にいい先生達に恵まれたのだなと改めて感じた出来事だった。
「お母さん、私。高校に入ったら陸上やりたい。車椅子の……レーサーに乗って走ってみたい」
卒業式の帰り道、娘は私にそうはっきりと告げた。
同じ県内に住んでいるN尾さん、入院中何度か足を運んでくれて色々な話をしてくれたそうだ。
彼女もまだ始めたばかりではあるものの、日本全国色々な所の大会に出て、パラリンピック出場を目指しているのだと言う。
パラスポーツには様々な競技がある。テニスや、バスケット、ボッチャなど、私たちが住んでいる県内でも色々な団体がある事は調べてわかっていた。
高校に入ったら何か始められたらいいね。と話してはいたものの、何にするかは本人に任せるつもりだった。
娘なりに色々と考えて出した結論なのだろう。
野球やダンス、陸上。幼稚園の頃から身体を動かすことが大好きだった娘が選んだものは、やっぱり陸上で走る事。だった。
この一年で、娘は大きく成長した。思春期の多感な時期に自由を奪われ、それでも弱音を吐くことなく毎日生きている。自分が同じ立場だったら、こんなに早く乗り越えられただろうか?
いつも、そう考えさせられる。
まっすぐ前を向いて、やりたい事を見つけた娘の横顔はとても輝いて見えた。
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