18人が本棚に入れています
本棚に追加
初めてレーサーに乗った日から、娘は更に陸上にのめり込んでいった。
自分の力でスピードに乗って走れるのが嬉しくて仕方がないと言った感じで、練習があると知れば喜んで参加する。
気が付けば、週6日。ほぼ毎日練習に行ってレーサーに乗るのが日課になっていた。
私も少しずつだが陸連の皆さんと仲良くなれたような気がしていた。
ただ、娘に陸連を紹介してくれたN尾さんとは未だに会えておらず、ふとした時に尋ねた事がある。
「N尾ちゃんは、短距離メインだから俺らとは別メニューだよ」
聞けば、いつも一緒に練習しているメンバーはみんな長距離メインで、色々なマラソン大会に出て自分の記録更新と健康維持の為に走っていると言う。
N尾さんは、陸上を始めて直ぐに専属コーチが付いて、世界を目指して記録と戦っている。
「そうだ、Mちゃんも目標を決めよう! ただ走ってるだけじゃ伸びないから。一年に一度、11月に大分の車椅子専用のマラソンがあるんだ。みんな出場する予定だし、まずはそこでハーフ完走することを目標にしたらどうだろう?」
Kさんに、そう促され確かにな。と思った。やみくもに走るよりも何か目標を持った方が絶対にいい。
娘もそれに同意し、先ずは11月の大分ハーフ完走が目標となった。
少し蒸し暑くなり始めた6月頭の事だった。
大分のマラソンには5キロ地点ごとの関門が設定されていて、指定されたタイムが遅れると回収されてしまう。
当時は約12キロ~13キロ前後のスピードで走っており、計算上はギリギリのタイムだ。
なんとか、回収されずにゴールを目指したい。
少しでも速く走れるように、手の皮が剥けて血が出ても応急処置をして走る娘のストイックさには正直驚かされた。
この頃から娘の手は傷だらけだし、腕にはタイヤで擦れたような痣が沢山出来ていた。それでも、娘は練習が楽しくて仕方が無いのだと言って、泣き言一つ言わずに毎日練習に明け暮れていた。
後輪のタイヤは何本もパンクし、大分マラソン当日までに何度も交換した。
恐らく、Kさんも含め一緒に練習してくれているメンバーみんな驚いていたと思う。
「厳しい事を言って練習に来なくなったら困るから最初はどう接していいか迷ったんだよね。年頃の女の子の扱いはよくわからん」
当時を振り返りTさん達は笑う。
「Mちゃんは女子じゃないな、女の子のふりをした中身はオッサンだからね」
今でこそ、そんな冗談も言い合えるようになったし、一緒に釣りに行ったり、キャンプしたり、焼肉パーティをしたりとプラーベートでも良くしてもらえているが、陸連の皆さんは和気藹々としていたけれど、初めから娘に対しても仲良く出来ていたわけでは無い。
何と言ったって、普段一緒に練習している人たちの平均年齢が40代~50代のオジサンたちの中にJKが一人だ。
恐らく、自分たちの子供と同年齢の娘の扱いに困っていた部分もあったのだろう。
最近の若い子はちょっとしたことでキレるし、反抗期だったらどうしようと腫物を扱うような感じだったのかもしれない。
実際に、過去には所属はしているものの練習は嫌だと言ってあまり来ない子、今から練習で汗をかくのに化粧バリバリでネイルもして全くやる気が感じられない子など居たらしい。
若いメンバー同士の色恋沙汰などもあったようで、もしまたそんな子だったら困るなぁと、困惑していたとずっと後になってからこっそりと教えてくれた。
そんな事とは露知らず、多少皮がめくれても気にせず、文句も言わずに誰よりもストイックに練習する娘の姿を見て陸連の皆さんも少しずつ絆されていったのだと思う。
最初のコメントを投稿しよう!