苦難の始まりは一瞬のミスから

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「第、7,8胸椎の脊髄損傷ですね」 救急搬送された先の病院で、様々な検査を受けた後、医師から告げられたのは衝撃的な一言だった。 命に別状はないと言われたのは数時間前。動けないって言ってたから、きっとどこかが折れているのだろうと思っていた私は、自分の考えが甘かったと思い知らされる。 まだ、14歳。3年最後の中体連を2週間後に控えていた。 「最近凄く調子がいいんだ。今年こそ入賞して、体育大学へ行って体育の先生になりたいんだ!」 そう言って、陸上部に所属し中1からずっと続けていた砲丸投げで、県大会出場を目指していた。 それなのに、自分のせいでその夢が絶たれてしまった。目の前が真っ暗になる。 一度傷付いた脊髄を元に戻すことは難しく、車いすで生活をしなくてはいけない。 看護師をしている私だが、恥ずかしながら当時はその程度の知識しか持ち合わせていなかった。 「娘は一生車椅子生活でしょうか?」 「今現在の医療では歩けるようになるのは厳しいと思います。現在北海道で治験をやっていていますが……完全に歩けるようになる保障は何処にもない上に、24時間以内に向こうの病院へ搬送しなければいけないと言う決まりがあるんです」 「北海道……」 先生の言葉に更に絶望する。 我が家は母子家庭で、私が一人で3人子供たちを育てている。 長女の為とはいえ、下二人を置いていく事なんてとてもじゃないが出来ないし、そんなお金何処にもない。 真ん中の娘は、中学に上がったばかりの上にてんかんと適応障害を持っているし、一番下の子はまだ小学生4年生だ。 これから先の生活、自由を失ってしまった長女のフォローと、妹たちのお世話、全部自分一人でやって行けるだろうか? 不安しかない未来を思い浮かべて、思わず涙が出そうになる。 でも、今ここで泣くわけにはいけない。絶望したって、悲観したって現状は変わらないんだから。 これから、緊急オペに入ると言うので慌ただしく同意書にサインをし、未だにショックで眠りについている次女の元へ戻ると、連絡を受けて急行してくれた、妹夫婦と、長女と次女の担任の先生、それに校長先生と、部活の顧問の先生迄勢ぞろいしていた。 「娘さんの……Mちゃんの容態は?」 「命に別状はないみたいですが、脊髄損傷で、準備が整い次第、緊急オペになるそうです。それでも、何処まで麻痺が残るかもわからないし、歩くことはまず不可能だと思ってくださいと先生に言われました」 皆、私の言葉を聞いて絶句している。妹は嗚咽を洩らして泣いていた。 私だって本当は泣きたかった。けど、泣くのは違う。自分がしっかりしなくちゃいけないんだと、気を奮い立たせて唇を強く噛み、何とか堪える。 今、一番辛くて苦しい思いをしているのは長女で、私じゃない。 その後、次女は妹夫婦に実家へと送り届けて貰う事になり、私だけが病院に残った。
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