少しずつ

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そして、大会当日。天気は雲一つない快晴。気温は予想通り25度近くの夏日。 介護タクシーに乗り込んで、みんなの待つ競技場へと足を運んだ。 聞こえてくる歓声や応援の声。 スタートを告げるアナウンス。  「私……戻って来れたんだ……。あ! 〇〇ちゃんが今から走るよ!」 小学校時代、一緒に野球部で共に汗を流した幼馴染の顔を見付け、娘の表情が綻ぶ。 今日、応援に行くという事は仲間達には一切伝えていない。 娘がどうしても黙っていて欲しいと懇願したのだ。 車椅子で移動している姿を見られたくなかったのかもしれない。 ふと、幼馴染の子が顔を上げた。娘と目が合う。 「……っ」 声は聞こえなかったが、僅かに唇が動いた。 そして、そのままスタートラインに立つ。 物凄い気迫だった。ピリッとした緊張感がこちら迄伝わってくるようなそんな感覚。  「……頑張れ……っ」 娘も固唾を呑んで見守っている。 そして――。 ピストルの音と共に弾丸のように飛び出した。幼馴染の子は中学入学時に娘と一緒に、今の陸上部コーチにスカウトされた。 娘は肩の強さを、彼女は足の速さとスタミナを買われて陸上部へと入部。 彼女のメイン種目は中距離800メートルだ。 圧倒的な速さで、他の追随を許さず独走状態。圧巻だった。 1位でゴールした後、娘の居る席に向かってVサインをしてくれた。 その後、休憩の合間に仲の良かった子達が席までやって来てくれて、感動の再会を果たし時間ギリギリまで観戦してから、病院へと舞い戻った。 最後まで見ることは出来なかったのは残念だったが、外出出来た事はとても良かったと思う。 仲間達の頑張りを間近で感じることが出来た嬉しさと、やっぱり自分も同じ空間で喜びを分かち合いたかったと言う悔しさが入り混じった複雑な感情が込み上げてきたようで、 「私もいつかまた、この競技場に戻って走りたい……」 帰りのタクシーの中で、静かにそう呟いた声は何処か決意にも充ちた響きがした。
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