少しずつ

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結局、大会は所属している中学校が一位を総なめ。ほぼ独占状態で完全優勝という形で幕を下ろした。 コーチからの報告を受け、娘もとても嬉しそうだった。 「どうせなら、自分もそこに記録を付け加えたかったな」 コーチが出て行った後、ぼそりと呟いた娘の言葉が静かな室内に思ったよりも大きく響いた。 気が付けばもう5月も半ば、急性期を脱した娘の転院の話が持ち上がり始めた頃だった。 私は未だに、娘への告知をどうするか決めかねている。だが、いつまでも結論を先延ばしにするわけにはいかない。 転院する条件が、告知をするのかしないのか。はっきりと方針を決めておくこと。だったからだ。 事情を知っている妹や両親に相談したり、自分自身に置き換えて考えてみたり……。 この時期、私は自分自身の不調で病院に通っていた。悩み過ぎて食事が喉を通らなくなってしまったのだ。 色々と検査した結果、付いた診断名は胃潰瘍と逆流性の食道炎。 考えすぎないことと、ストレスを溜めないこと。ドクターから再三注意を受けることになった。 わかってるけど、そう簡単にはいかない。 娘の受験や、告知後の転院の事、これから先の不安、考えたくなくても頭を悩ます要素は沢山ある。 ******* 忘れもしない5月17日。その日は、執刀医の先生から娘への告知が行われる日だった。 悩みに悩んだ結果、嘘を吐いて隠し通したとしてもいずれはバレてしまう事、 その時に「なんで教えてくれなかったのか!?」と、娘が裏切られたような気持になるのではないか。 と言う結論に達したからだ。 自分がもし、同じ立場なら間違いなくそう思うだろう。 告知には、私を心配した妹が一緒に立ち会ってくれることになった。 コミュ障の私と違って妹はとても明るく、場を和ませる天才だと言ってもいい。 先生が部屋にやって来るのは夕方17時ごろ。何も知らない娘の元へ面会にやって来た私たちは、沢山の思い出話に華を咲かせていた。 妹が居てくれたお陰で、笑いの絶えない和やかな雰囲気作りが出来ていたと思う。  私は、沢山の人に支えられているのだと改めて実感した。 17時過ぎ、部屋に主治医と、執刀医の先生。それに看護師さんや薬剤師さん、リハビリの先生など大勢のスタッフがやって来た。 あらかじめ、病状の説明があるとだけ聞いていた娘の表情に緊張が走る。 そして、執刀医の先生がパソコンを操作し、娘のレントゲン写真を見せながらゆっくりとした口調で説明が紡がれていく。 胸から下の感覚が無いのは、事故の衝撃で脊髄に小さな傷が入ってしまったから。脊髄には沢山の神経が通っていて、一度傷付いた脊髄は今の医療では元に戻すことは出来ない。という事。 でも、今現在医療は物凄く発達していてIPS細胞の研究が急速に進められている。  今は無理でも、10年、20年先には脊髄損傷は治る怪我になるかもしれない。 それがいつになるのかはまだわからないけれど、その時に、足が固まってしまっていたらもう歩けなくなってしまうから、いつか来る未来の為にリハビリを頑張らなければいけない事などを丁寧に説明してくれた。 あらかじめ、娘が傷付かないように生きる希望を持てるような説明をお願いしますと、伝えていたのだが、 全て叶えてくれた先生には本当に感謝している。 ショックが大きすぎて聞いていられないんじゃないか。現実を直視出来なくなるんじゃないかと心配していた娘は、とても冷静だった。 真実から目を逸らすことなく、しっかりと最後まで気丈に先生の話に耳を傾けていた。 寧ろ、私や妹の方が涙を堪えるのに必死で、これじゃぁ、どちらが患者かわからないね。と、後で3人で泣き笑いしたのを今でも覚えている。 結局、娘が泣いたのは先生達が出払った後の5分間だけだった。 取り乱すかと思ったのに、全然そんなことも無くてむしろ静かに現実を受け止めようとしていたような、そんな印象だった。 その日の夜は、娘が側に居て欲しいと言うので許可を貰い、これからの事、出来ない事も増えたけど、まだ出来ることは沢山あると言う事、泣きたい時は泣けばいいし、辛い時は辛いと言えばいい。そんな話を沢山して夜は更けていった。 多分、思春期になってから娘とあんなに沢山話をしたのはアレが最初で最後だったんじゃないかな? 自分は強いから大丈夫。まだ、若いから そう繰り返し自分に言い聞かせてる娘に胸が痛んだけれど、自分が一番辛いはずなのに、「多分、一番傷付いて、責任を感じてているのはお母さんだから」と言う娘に、ホントに強くて優しい子に育ってくれたと器の大きさを実感した。 同時に、娘がこれだけ前を向いて居るのに私がいつまでも落ち込んだり悩んでいるのはおかしいと痛感させられる。 これからもっと大変にはなると思うけど…家族4人力を合わせて頑張ってお姉ちゃんを支えて行きたいと改めてそう思わされた夜だった。 一日も早くIPS細胞が実用化に向けて動き出してくれたらいいな。いつか彼女が再び歩ける日が来る事を願って……。 そして、娘のリハビリ病院への転院が、1週間後に決定した。
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