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希望の光
長女に転機が訪れたのは、リハビリ病院へと転院してからすぐの事だった。
その頃の長女は自宅への退院に向けて、一日4回のリハビリと、学校に行けてない分の勉強に追われとても忙しい毎日を送っていた。
目標は2学期の始業式に間に合わせる事。
久しぶりに学校へ行ける。具体的な目標が決まった事で、長女の表情にも力強さが戻って来る。
そんな娘を見て、私もいつまでも過去を悲観し立ち止まっているわけにはいけないと思い、仕事復帰を決意。
退院すると言う目標が出来た事で、それぞれの止まった時間が動き出した。
先が見えない不安と言う闇の中に一筋の希望の光が私たちを照らしてくれている。
一番の問題だった退院後の住居は、家においでよと両親が申し出てくれたお陰で、当面の住む場所は確保できた。
車椅子でも生活しやすいように空き部屋をバリアフリーに改装し、脊髄損傷用の車椅子も作った。
次女と三女は夏休みの間に転校する事が決まり、かなり寂しがっては居たものの文句ひとつ言わずに受け入れてくれた。
免許停止が明けるまでの期間、職場への通勤は当時同じ職場で勤めていた妹が私を自宅まで送迎してくれる事になったのでとても助かった。
私の状況を理解してくれて、妹と勤務を合わせてくれた職場にも本当に感謝している。
私たちは、色々な人に支えられて生きているのだと実感できた出来事だった。
そして、更に嬉しい出来事が起きた。
それは、五月も終わりに近づき初夏の匂いが近づき始めた頃のこと。
事故のことや長女の現状を知った県外に住む叔父から、一本の電話が掛かって来た。
なんと、叔父の勤めている会社にパラリンピックの金メダリストの方が居て、長女の話をしたらぜひ一度会いたいと言っている。と言うものだった。
その頃の私たちは、これからどう生きていけばいいのかもまだ手探り状態で、パラスポーツの事なんて考えもしていなかった。
けれど、メダリストに会える機会なんてそうそうあるものではない。
きっと、娘にもいい刺激になるのではないか? そんな淡い期待とメダリストに会えるかもしれないと言う不思議な高揚感に包まれながら電話を切る。
早速、娘の気持ちを確認しようと面会に行くと、娘が少し困ったような表情をして出迎えてくれた。
何かトラブルでもあったのだろうか? 不安に思って問いかけると、主治医の先生からとある提案をされたのだと言う。
それは、三段飛びの女王と呼ばれていた女性が一年前にトレーニング中の事故で脊髄損傷になっており、現在はパラリンピック出場を目指して頑張っているので会ってみてはどうか? と、言うものだった。
自分は確かに陸上への未練がある。けどまだ、スポーツをやれるかどうかなんて今は考えられない。と
「深く考えすぎないで、話だけ聞いてみるのもいいんじゃないかな? やりたいって思った時にチャレンジしてみたらいいと思う」
私の言葉に、娘は静かに頷いた。 こうして、娘は2人のアスリートたちと会う事が決まった。
この2人のパラアスリートとの出会いが、今後の運命を変えることになるなんて、この時は思ってもみなかった――。
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