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「えと、とりあえず、中へどうぞ」
「失礼します」
仁科さんを部屋に招き入れ、受け取ったソーセージ5袋を冷蔵庫に入れる。
二人で調理するならもうひとつあった方が便利だと思って頼んでいたまな板も持って来てくれていたので、それを台に乗せた。
仁科さんが台所のシンクで手を念入りに洗い始めるので、私はその間にエプロンを身に着けた。
「僕は何をしたらいいですか?」
「じゃあ、ネギを適当な長さに切ってもらっていいですか?私はいただいたお肉を切りますね」
「わかりました」
早速二人並んで調理台の前に立ち、包丁を握って切っていく。
流石高級品とだけあって、仁科さんから頂いた牛肉は容器の木箱も、お肉の並べられ方も、色や鮮度も、全てが洗礼されているというか、高級品とは縁の薄い貧乏人の私を震わせてくる。
でももっと私を緊張させてくる存在は、間違いなく仁科さんだ。さっきからチラチラと真横からの視線を感じる。
たまらず振り向いて見てみると、視線が絡んだ。
「あの…、私切り方変だったりしますか?」
「え?そんなことないですよ。完璧です」
「そうですか。いや、なんか、じっと見ていたので、何か気になるところがあったのかなって」
すると仁科さんは慌てたような表情をした。
「いえ、気になるところがあったのではなく、藤子さん手際がいいので。見入っていたというか」
「見入っていた?」
「というか、見惚れていた…?」
「え…?」
「あ、いや、えーっと…」
仁科さんの耳の先が赤くなるから、私は耳の先に留まらず顔全てが赤くなってくる。気恥ずかしさの限界で、視線をまな板へ逃がした。
仁科さんが口にした見惚れるやら見入っていたやらは、自炊歴がそれなりにある私の包丁使いに向けられたものだってことはわかっている。
わかっているけど、そんな照れたような表情で言うのはずるい。
盛大な勘違いをさせてくる。
ていうか私、意識し過ぎだ。
いや、最近恋心を自覚した好きな人が隣に立って一緒に料理してるんだから意識しないほうがおかしいとは思う。
思うけど、意識し過ぎてなんでもないことにいちいち大きく反応してしまう。
もっと自分らしくいたいのに。
本当は名前も、仁科さんじゃなくて、蒼真さんって呼びたいのに。
前に、勝者のお願いを聞くという賭け事をして勝負したトランプのスピードゲームで、見事に負けた私は仁科さんを蒼真さんと呼ぶように言われたのに、あの時一度だけ呼んだっきりで、今でもずっと仁科さんと呼んでいる。
蒼真さんと呼びたいけど、意識すると声が震えてとてもじゃないけど平然としてられなくて、楽な方へ逃げている。
ペアのカップを渡す勇気はあったのだから気合を入れれば名前で呼べると思うけど、いざ仁科さんと目が合うと途端にやっぱできないと怖気づくのだから、恋愛経験が乏しい自分が情けない。
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