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「な。なんちゃって。あはは…」
曇った空気を変えたくて笑って誤魔化そうとすると、仁科さんも笑った。
あまりに爽やかに笑うから、さっき私が見えた影は幻だったのではと思うほどで。
ちょっと拍子抜けしてしまう。
「不思議ですね。でも僕は、藤子さんと似ている所がたくさんあることが嬉しいですよ」
「えっ。あ、わ、私もです」
好きな人にこんなこと言われて平然でいられる人、いるだろうか。
仁科さんの影のある表情のことなど忘れてしまうほど、今の笑顔にはやられてしまった。
きっと私の顔はまたとんでもなく赤くなっていると思うから、またまな板へ顔を向けて、暫くはお肉を切る作業に集中して、なんとか落ち着こうとしていた。
すき焼きの準備ができて、座卓の上にガスコンロを用意しタレや具材を投入した鍋を置いて火にかけてから、数分後。
タレの香ばしい香りとグツグツ煮える具材が食欲を刺激してきた。
鍋の横には簡単なサラダや、漬物、そしてスーパーで頂いたお揃いのガラスカップも並んでいる。
仁科さん側に水色のカップ。私はピンク色のカップ。注いだのはいつもより辛口のビールだ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
二人そろって合掌し、お箸を掴み取る。
美味しそうですね、なんて言いながらどの具材を取ろうかと鍋の中を覗く。
ああ…、なんて幸せな空間なんだろう。
目の前に大好きなお隣さん、そして高級肉が入ったすき焼き。はあ…。癒やし。日々の疲れなんて吹っ飛ぶ。
ふわふわした気分のままお箸の先はお肉に狙いを定め、小皿に移してフーフーと息を吹きかけ口に運ぶ。
お肉が舌に触れた瞬間、私はあまりの美味しさに一瞬魂が抜けたように思えた。
「うわっ。美味しいっ!」
思わず唸ってしまうと、私の反応を待っていた様子の仁科さんが破顔一笑するから、うわぁこっちも美味しい笑顔!最高!となってしまう。
仁科さんの笑顔とお肉の美味しさで、私は脳がおかしくなっていたのかもしれない。
どういうわけか「仁科さんもいっぱい食べてくださいね」と言いながら、熱々の鍋を親指と人差し指で直に触ってしまったのだ。
「あっつ」
「藤子さん!?」
反射的に指を放すや、すかさず手首を握られた。
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