窓際のハーデンベルギア

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「やっぱり、なんか色っぽいこと期待してた?」 「ち、違います! ラーメンっていうのが、意外だっただけで」 「だって、まだ酒飲めねぇんだろ?」  それにしたって、ラーメン。ていうかこの人、さっきもひたすら食べてなかったっけ。  私を口説く気はないってことなのかな。それとも庶民派アピールで、親しみやすさを出そうっていう作戦なのかしら。   「飲み直すってわけにもいかねぇし、それなら締めはラーメンだろ。ラーメン嫌い?」 「好きです」  あ、つい食い気味に……でも、ラーメンに罪はないわ。   「即答するほど好きってことね。ここから少し歩いたところに、ウマいラーメン屋があるんだよ。だから一緒にどうかなっていう、お誘いです」  さっきまでの意地悪な顔から一変して、今度は優しい表情で浅尾さんが言った。  そんな風に言われると、断れないじゃない。ラーメンだし。   「……まぁそれなら、ご一緒してもいいです……」 「あ、敬語いいから。苦手なんだよね、敬語使われるの」 「分かりま……わ、分かった」 「んじゃ、行こうぜ」  とりあえず、体目当てではないのかな。油断させるために、最初はそう思わせているだけっていうことも考えられるけど。  安い女と思われるのだけは嫌。簡単に切り捨てられそうな関係なんて、望んでいない。ちゃんと私だけを愛してくれる人がいい。  でも、初対面でノコノコとついて行く時点で、すでに軽いと思われているのかな。そもそも、浅尾さんはどうして私を誘ったの?  隣に座って会話をしたのは、ほんの数分。それなのに、ほかの子じゃなくて私を誘ったのは、どうしてなんだろう。うしろをついて行きながら、悶々と考えてしまった。 「ごめん。オレ、歩くの速かった?」  浅尾さんが振り返って言った。その声色は、とても優しい。   「あ、ううん。このあたりはあまり知らないから、キョロキョロしちゃって」 「そう。じゃあ今度昼間に案内するから、いまはできれば隣歩いてくんねぇかな。このへんは飲み屋が多いし、変な奴に絡まれると面倒だろ」  言い方はぶっきらぼうなのに、どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう。知り合ったばかりの人に感情が揺さぶられるのは、なんだか少し怖い。  それでも浅尾さんについて行くことに、不思議と不安はなかった。  小走りで駆け寄って、隣に並ぶ。男の人とこんな風に歩くのは初めてで、距離感がよく分からなくて。間違って触れてしまわないように、少しだけ間隔をあけて歩いた。 「……浅尾さん、明日早いから途中で帰ったんじゃないの?」 「別に、なんもないよ」  浅尾さんは長身だから、声が頭上から降ってくる。  やっぱり好きだな、この声。   「え、なにもないのにどうして?」 「気分」  気分って……悪びれもせずに言うし。  マイペースというか、自由というか。掴みどころがない人だなぁ……。   「最後までいると面倒なことが多いから、とりあえず気分次第で帰るって、毎回言ってんの」 「せっかく合コンに参加したのに、途中で帰るのってもったいなくない?」 「ある程度、楽しめたらいいからさ。社会勉強みたいなもんだし」  社会勉強って、どういうこと?  それに、そんなに楽しんでいるようには見えなかったんだけど。この人は、彼女が欲しくて合コンに参加しているわけじゃないのかな。まぁ、女には困っていなさそうだもんね。 「じゃあ、なんで私を誘ったの?」  一番訊きたかったこと。  浅尾さんがどういうつもりで合コンに来ていたのかはよく分からないけれど、どうして私を誘ったのかは、すごく気になる。  やっぱり、あの中で私が一番可愛かったからかな。   「なんとなくだな」  特に考えもせず、浅尾さんが言った。  本当は顔でしょ。私の顔が可愛いからなんでしょ。でもそう言うと軽い印象になるから誤魔化してるんだよね、きっと。  その答えに私が不満を持ったのを感じ取ったのか、浅尾さんは私の顔を覗き込んで、にやりと笑った。 「明確な理由がないと、不安?」  どこか妖しくて透き通った浅尾さんの瞳に、心臓が大きく跳ねた。  まるですべてを見透かしているような瞳。自分が丸裸にされる感覚。この人の瞳は、なんだか危険な気がする。   「ううん、そういうわけじゃないけど。合コンが初めてだから、こういうのよく分からなかっただけ」  思わず目を逸らしてそう返したけれど、本当は浅尾さんの言う通りだった。  本質を突かれると、嘘をつきたくなる。そうじゃないって、否定したくなる。だってこんな感情、誰にも知られたくない。知られたら、誰も私のことなんて愛してくれないでしょ。 「愛茉ちゃんこそ、なんで抜け出してきたわけ? 途中で帰るの、もったいないんだろ?」 「な、何となく……」  浅尾さんのことが気になったから。そう言って、少し惑わせるほうがよかったのかな。 「ほら、そんなもんだよ。深く考える必要ねぇだろ」  だって、人の心なんて分からないじゃない。不安に思うのは当たり前でしょ。だから納得いく理由が欲しかった。  私じゃなくても誘ったの? それとも、私だから誘ったの? だとしたら、なんで私なの? 本当は教えてほしい。私じゃなきゃダメな理由を聞かないと、安心なんてできない。  でも面倒くさい性格と思われるのも嫌。気になるけれど、気にしないフリをしなきゃ。 「……あの。私は別に、誰にでもついて行くってわけじゃないから……」 「へぇ、そりゃ光栄だね」  浅尾さんの表情には余裕がある。この人はきっと、いつも追いかけられる側の人間なんだろうな。  過去のことは話したくなさそうだったけど、いままでどんな恋愛をしてきたんだろう。それを知りたいと思うのは、やっぱり面倒くさい?  でも、そう思ってしまうくらい、浅尾さんのことが気になりはじめていた。  大型連休の真っ只中。夜の街には、多くの人が行き交っている。  まだ東京の歩き方に慣れていなくて、ときどき人とぶつかりそうになる私を、浅尾さんがそれとなく誘導してくれた。過度なボディタッチはせずに、軽く腕を掴んだりして。歩くスピードも、さっきよりゆっくりな気がする。  横に並んでいるだけでもドキドキするのに、これはちょっとずるい。  歩きながら、浅尾さんがこのあたりのおすすめの飲食店をいくつか教えてくれる。そして私が興味を示すと「また今度行こう」って言う。  次を期待させるのも、作戦のうち? 今日だけで終わらないって、思っていいのかな。
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