窓際のハーデンベルギア

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「ほら、あそこのラーメン屋」  浅尾さんが指さす先に、いかにもという感じの赤暖簾が見えた。やっぱり、特にオシャレなお店ってわけではないみたい。まぁ、そうよね。ラーメン屋だしね。 「あんま混んでなくて、よかったな」  一番奥のふたり掛けが空いていて、そこに座りながら浅尾さんが言った。 「塩と醤油と味噌があるけど、一番おすすめは塩だな」 「あ、じゃあそれで」 「塩派?」 「うん。塩ラーメンが、一番好き」 「気が合うな」  浅尾さんも、塩が好きなんだ。そんなちょっとした共通点でも、嬉しくなってしまった。  店員を呼んで、浅尾さんが注文を伝えてくれる。  さっきのお店は照明が暗めだったけど、ここは明るくて、浅尾さんの顔がよく見える。  目は鋭いけれど、やっぱり全体的に整った顔立ちというか、少し彫りが深いのかな。横顔がすごく綺麗だなぁ。  ミディアムな長さのスパイラルパーマがよく似合っているし、黒髪の間からチラリと見えるシルバーのインナーカラーがとってもオシャレ。  結構ピアスをつけているんだ。左耳だけで……4個? 右耳は髪に隠れていて分からない。かっこいいチェーンピアスだけど、もしかしてクロムハーツ? なんだか高そう。  あ、しまった。目が合った。 「穴があきそうなぐらい見てくるね。オレのこと、好きになっちゃった?」 「なっていません。さっき知り合ったばっかりなのに」 「ふーん、ひとめ惚れはしないタイプか。オレとは違うね」  オレとは違う。それは、どういう意味で受け取ればいいんだろう。  私にひとめ惚れしたっていうこと? 「もしかして私、口説かれているの?」 「口説いているよ? なんのために誘ったと思ってんの」 「だって、ラーメン屋なのに……」 「やっぱり、ストレートにホテルのほうがよかった?」 「それは嫌です」  冗談なんだか本気なんだか、よく分からないけど。でも浅尾さんと喋っていて、嫌な感じはしない。私を見る目が、とても優しいんだもん。  下心がある人とない人は、やっぱり目が違う。恋愛経験がない私でも、そのくらいは分かる。いろいろな人の「目」を見てきたから。  言っていることは軽薄だし少し意地悪だけど、浅尾さんの根っこは誠実というか、真っすぐな人のような気がする。あくまでも「気がする」だけだし、まだ油断はしていないけど。  だって、チョロい女と思われたら終わりでしょ。 「浅尾さん、いつもこんなふうに女の子を誘っているの?」 「まさか、こんなのは君が初めてだよ。……って言ったとして、信じる? どうせ信じねぇくせに、そういう質問するのは不毛じゃね?」  じっと目を見て言われた。図星すぎて、返す言葉がない……。  信じられないくせに、否定してほしい。そういう私のずるさを見抜かれたような気がした。 「愛茉ちゃん、本当はほとんど食っていなかっただろ。腹減ってんじゃねぇかなって思ってさ。それに、こういう店のほうが気楽だし」  食べたって嘘をついたの、バレていたのね……。  もしかして、さっきの合コンで私があちこちに気を遣っていたのを、分かっていたのかな。だから疲れないかって訊いたの?    一緒に歩いているときもそうだったし、浅尾さんは人のことをよく見ている。マイペースで自由なようで、すごく心を配ってくれるし。  そのひとつひとつが嬉しいって思ってしまう私は、やっぱりチョロいのかな。 「ラーメン好きだから……ちょっと、嬉しかった」  顔を見るのが恥ずかしくて、少し俯き気味で言った。   「そんな可愛い言い方をされると、連れて帰りたくなるんだけど」  思わず顔を上げる。目が合うと、浅尾さんが微笑んだ。  どうしよう。私、絶対に顔が赤くなっている。   「まぁ今日のところは、ラーメンだけで我慢するけどさ。愛茉ちゃんが塩ラーメン好きって分かっただけで、十分だし」  軽い人なのか、それとも本当は誠実な人なのか。私の中の浅尾さんの評価は、全然定まらない。  見た目は軽そう。これは確実。軽いというか、チャラい。クラブとかに入り浸っていそうな感じ。  でもさりげなく優しいし、変に距離を詰めてきたりはしない。  どんな人なのかは分からないけれど、ただひとつだけ言えるのは、私は浅尾さんのことをもっと知りたいっていうこと。  おすすめされた塩ラーメンは、本当に美味しかった。いままで食べたラーメンの中で、一番かも。  それを伝えると、浅尾さんは嬉しそうな顔をしていた。 「自分のぶんは、払うから」 「気にしなくていいよ」  お会計で浅尾さんが全額払ってくれて、店を出た。そう言われても、当たり前のように奢られるのは気が引ける。   「気にするもん」 「自分で誘っといてラーメンをワリカンするなんて、ダセェことさせないでよ」 「でも……」 「いいんだよ。今日のところは、黙って奢られてくれる? そんなに気にするなら、今度はオレが奢ってもらうからさ」  浅尾さんの口から「今度」っていう単語が出てくるたびに、胸の奥が締めつけられる。  私は大人しく、お財布をバッグの中に入れた。 「……ありがとう。ごちそうさまでした」 「家、どのへん? 送るよ」 「い、いい、大丈夫。まだそんなに遅くないし、駅から近いし……」 「警戒するね。別になにもしねぇって」 「本当に大丈夫だから。帰り道は明るいし」  これ以上一緒にいると、なんだか危ない気がする。浅尾さんがというより、私のメンタルが。   「じゃあ、駅まで一緒に行くわ。それぐらいはさせてよ」  本当は、もっと一緒にいたい。でも、自分が自分じゃなくなりそうで。感情のブレーキが壊れる前に、浅尾さんから離れなくちゃ。   「愛茉ちゃんは、山手線?」 「うん」 「外回り?」 「うん」  浅尾さんは、どこに住んでいるんだろう。住んでいる場所だけじゃなくて、まだ浅尾さんのことをなにも知らない。  駅までの道が、ずっと続けばいいのに。あっという間に着いてしまった。  早く離れたい。まだ離れたくない。  心が落ち着かなくて、少し手が震えて。バッグの中からパスケースを出そうとしたら、手帳やお財布を落としてしまった。 「この手帳のメモ欄、書いていい?」  手帳とお財布を拾い上げて、浅尾さんが言った。   「え? う、うん」  書くって、なにを?  よく分からないけれど、とりあえず手帳を開いて、ボールペンを浅尾さんに手渡した。  あれ、左手でペンを持っている。確か、お箸は右手で持っていたと思うけど……両利き? ていうか、意外にも字が綺麗だし。 「これ、LINEのID。気が向いたら連絡してよ」 「え……」  そういえば、連絡先を聞いていなかったことに、いまさら気がついた。  って、え? 気が向いたら? 私から連絡するの? 「あの」 「ほら、もうすぐ電車が来るよ」  電光掲示板を見ながら、浅尾さんが言った。 「また今度ね。気をつけて帰んなよ」  優しく微笑む浅尾さんに見送られて、少し後ろ髪を引かれながら改札を通る。  振り返ると、浅尾さんはまだ立っていて、軽く手を振ってくれた。  やっぱり、送ってもらえばよかったかな。そんな気持ちを振り切るように、私も手を振り返して、小走りでホームへ向かった。
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