夏の音を聴かせて

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派遣社員、それも三ヶ月契約での勤務は、今までもあったが、こんなに親切に教えて貰ったことはなかった。いつも誰でもできる仕事しか任されないから説明は適当だった。 得意先への書類の封入作業や、従業員の給料明細の管理や印刷、誰でもできる事を、誰でもいいから、代わりにやるのが私の仕事。そんな風に思ってた。 「あ、説明早かった?」 「いえ、凄く丁寧で驚いてしまって……」 「ふふ、分からないことあったら聞いてね。じゃあ、早速電話取ってくれる?ほとんどが、取引先から、商品引き取りの希望日時と配達先を知らせる電話だから」 「分かりました」 私は、小さく咳払いしてから喉を整える。色々な所で働いてきたが、初日はやっぱり緊張する。手元の電話のランプが光り、音が鳴ると共に、私は、受話器をあげた。 「はい。ありがとうございます、三浦運送、南夏音です」 『え?』 電話の向こうからは、一文字、そう戸惑った声が聞こえてきた。 滑舌が悪かっただろうか? 「すみません、聞き取りづらかったでしょうか?三浦運送、南夏音です」 『嘘だろ……夏音?』 「え?」 今度は、私が、間の抜けたような一文字を口から発していた。 (そう言えば、この少し高めの……甘い声……) 記憶の端はすぐに、電話の声に引き寄せられるように、電波に乗って繋がっていく。 『俺だよ。来斗。橋本来斗(はしもとらいと)』 「来斗……」 その名を呼んだのは、いつぶりだろうか。もう二度と呼ぶ事も会う事も、声を聞く事さえもないと思っていた。
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