00 Domの教師

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00 Domの教師

「教師なんてDomがなるもんじゃねーよ」  ジェンダー論の授業を聞きながら吉成がそう言ったとき、自分が何と答えたのか全然憶えてない。「なんで?」って疑問だったかもしれないし、「差別的じゃん」と嗜めたかもしれないし、無言だったかもしれない。いずれにせよ俺はそのとき、確かにどきりとした。自分のことを言われているのかと思ったから。 「Subならまだしも、Domが教師になっちゃったらさァ、生徒に怒ったり褒めたりするのもダイナミクスが関わってきちゃいかねないじゃん? それってどうなのってオレは思うけどね。Subの生徒の気持ちなんてわかんねーだろうなって思うしィ」  吉成は、教授が映し出すスライドなんてそっちのけでスマホをいじっていた。  もちろん、俺がそのことを考えなかったわけじゃない。今でこそ当たり前に「ダイナミクス性」なんてもっともらしい名前がついてるけれど、ほんの三、四十年前までは「Dom」「Sub」という名称それ自体が得体の知れないもののように扱われていた。大多数のNeutralの人間にとって――もっと言えば、そのときはまだ、大多数の人間に「Neutral」なんて名前はついていなかった――支配・被支配の関係を築かなければ体調を崩す人間は「病気」でしかなかったんだろう。俺もダイナミクスによる身体不調なんて全くもって何のためにあるんだかわからないし、誰かを支配したいだなんて思ってないのに放った言葉が「命令」と受け取られてしまったときのあの感じが苦手だ。  Domは教師になるのが難しい。それは分かっている。教え諭す立場が自分の本能に食い潰されかねないから。それでも俺は、覚悟して教師になった。  教師になった今、俺は思う。Domだって教師になっていい。大学時代の吉成に首を振って、ちゃんと言ってやれる。教師の中にも、Domは必要だよ、吉成。 「先生、おれが、おれ、は……」  呆然と呟く男子生徒に向かって、俺はできる限り柔らかな声を出した。 「『こっちを見て』」  声をかけても合わなかった視線が、ようやく俺を捉える。 「『いい子』。大丈夫。急に立たなくていい。ゆっくり『息を吸って』。静かに『吐いて』」  辛うじて名前を覚えている。八瀬(やせ)透也(とうや)だ。俺が教科を受け持っているわけじゃないけど、彼の絵が美術室の前の廊下に飾られているから知っている。  八瀬は震える瞳でこちらを見たまま、ゆっくりと息を吸い、そして吐いた。俺の「命令(コマンド)」通りの動作だ。俺は意識して微笑むようにする。 「『すばらしい』」  恐れに歪んだ表情が、ふっと和らいだ。  俺はDomであることも教師であることも後悔していない。たった今起きた生徒のSub dropを落ち着かせられたのは、この場にいた教師の中で、Domの俺しかいなかったのだから。
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