02 プレイと信頼

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 生物室の隣には準備室という名の部屋があって、ほぼ倉庫として使われている。生物担当教師用のデスクが三台置いてあるが、俺以外の二人の先生はあまりこちらに来ないため、デスクにはほとんどものが置かれていない。なんせ生物室の三分の一程度の広さしかないのに、デスクが三つもあるのだ。教材やほとんど使わない標本のようなものまで準備室に詰められているので、結構狭い。  その狭い部屋で、八瀬を大橋先生のデスクの椅子に座らせ、俺は自分のデスクに置いてある電気ポットでお湯を沸かした。時間はすでに放課後で、誰かがこの準備室に来ることもほぼないので好きに使える。 「紅茶でいい? まさかコーヒーが好き?」  興味津々で準備室を見回す八瀬に声をかけると、彼は「どっちもあんまり飲まないけど、多分紅茶がいいですね」と答えた。自分のことなのに「多分」とはどういうことだ、と思ったものの、特に聞かずにマグカップに紅茶のティーバッグを放り込む。適当にお湯を入れてマグカップを八瀬の前に置くと、彼は丁寧にお礼を言った。俺もまた、自分の分の紅茶を入れて椅子に座る。 「俺、申し訳ないけどお前のことよく知ってる自信がない。……大橋先生の担当クラスでしょ?」 「あ、そうですよね。おれは2組の八瀬透也です。生物は大橋先生が担当なので高宮先生の授業は受けたことないですけど」 「じゃあ、何で俺なの?」  結局のところ、俺の疑問はそこに戻ってくる。八瀬は聞かれるのを分かっていたんだろう、ちょっとだけ笑った。 「高宮先生、おれの絵見てたでしょう」 「……美術室の前の?」  八瀬のことはよく知っていると言い難いけど、八瀬の絵のことならよく知っている。美術室の前に飾られている八瀬の絵は二つあった。一つは賞を取ったので飾られている、商店街の風景を描いたもので、もう一つは美術部員の作品として飾られているセーラー服の少女が描かれた小さな絵だ。商店街の油絵の方が大きく迫力があって目を引くが、俺は後者の水彩画の方をいい絵だなと思っていた。単純に上手かったし、少女の表情が可愛らしくて愛に溢れた絵に見えたから。 「こんな綺麗な絵を描く高校生がいるんだなって思って、見てたけど……」 「油絵の方じゃなくて、水彩を見てた。おれも、あっちの絵の方が好きだったので嬉しかったんですよ」 「……それはよかった」  俺はまた、どう言えばいいかわからず口を閉ざした。実際言いたかったのはこうだ。 ――それだけで、俺を信頼できると思ったってこと?  俺の疑問を見透かしたように八瀬が「それだけです」と言う。 「でも、おれにとっては『それだけ』じゃないんです。あれはおれの、大事な絵だから」  並々ならぬ想いがあるんだろう。八瀬は言いながらどこか微笑んだように見えた。 「まあ、そう言うなら、納得はするけど」と俺は視線を逸らす。納得できているとは言い難い。なおも八瀬は言葉を続けた。 「信頼してるDomだから、先生しか無理なんです。……お願いです、先生、おれとプレイしてくれませんか?」  正直八瀬の明るい表情を見ると、Domへ近づくのが怖いと言われても、本当には聞こえなかった。理由を聞いたとは言え俺への壁がないのもいまいち理解できないし、他のDomへの怖れを今のところ八瀬から感じていない。  でも「先生しか無理」だなんて言われると断りづらかった。一応教師としての懸念を続ける。 「プレイできなくて困ってるっていう事情も、なんで俺なのかも一応は分かった。でも、相手が俺っていうのはまずいんじゃないかな。お前らと歳が近いとは言え、教師なわけだしさ」 「何でですか? 何もセックスしてくれって話じゃないですよ」 「セッ……」  八瀬の口からそんなセリフが出たので、俺は文字通り言葉を失った。頭を抱えたが、一瞬で気持ちを落ちつけて続ける。 「いや、もちろん分かってるよ。俺たちDomやSubにとってプレイはセックスとイコールじゃない。でもNeutralの人間にとってはそんなこと知ったこっちゃないわけ」 「勘違いされると問題になるってことですか?」 「簡単に言うとな」 「そうじゃないって主張すればいいでしょう。実際、おれと先生にやましいことがなければ問題ない」  紅茶を一口飲みつつ、八瀬のお願いをどうするべきなのか俺はぐるぐると考えていた。
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