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社会人・年中行事編 5月・かしわもちの食べ方
どうしてなのかわからないが、瀬川はぼくの家へ来るとき高確率で食べ物を持ってくる。高確率というのはつまり、十回につき九回くらいの割合だ。
今日の瀬川の手土産はかしわもち、らしい。
開口一番「こどもの日ですから」といいながら経木の包みをぶら下げて玄関に立つので、いつものように上がってくるのかと思っていたら、ちがった。
「先生、ちょっと出ません?」
「どこに?」
「いい天気だし、ゴールデンウイークだから」
いい天気はともかく、ゴールデンウイークは何の理由になるのか。いや、瀬川のようなタイプにとってはこれで十分なのだろう。
外は晴れてぽかぽかしているが、まだまだ春の続きという雰囲気だった。今年は去年のようにいきなり真夏の気温になるような日はまだない。
瀬川は「こっち行きましょう」と道をさす。経木のつつみは手からぶら下げたままだ。
並んで歩きながらぼくは数を思い浮かべる。瀬川と最初に会ったときから五年、受験が終わってこういう感じになっていろいろあって……四年。四年だって?
「ああ先生、また飛んじゃった」
考えこんでしまったぼくに瀬川があはは、と笑った。
「何を考えてたんですか?」
「瀬川君は高校生だったなと思っていた」
「先生も高校生だったでしょう」
「うん、まあ」
「そのまえは中学生」
「そうだな」
「そのまえは小学生」
「たしかに」
「そのまえは……子供ってことですね」
瀬川は国道をそれて脇道の方を行く。どこへ向かっているのかわからないままぼくはついていく。彼が予備校に通っていたころ、話がしたいといわれ、こんなふうに並んで歩いたことがある。
道はほぼ平らだ。住宅街を抜けていくあいだにわずかに坂になる。前方の建物が消え、電線が消えて、道は川を渡っていた。瀬川は自転車マークのある川ぞいの土手の道へ入った。犬を連れた人が並んで歩いている。川辺には草がしげり、黄色い花がたくさん咲いていた。
ぼくが川をぼうっとみているあいだに瀬川は自販機でペットボトルのお茶を買っている。土手から川辺へ下りる階段はすりへった石で、隙間にタンポポが生えていた。川べりの土の道を歩きだしたとたん、白い翼を広げた鷺がすべるように宙を飛び、川の中に降り立った。そのまま彫像のように動かない。
「すごい、真っ白だ」と瀬川がいう。
「シラサギっていうくらいだからな」
「サギっていうくらいだから、裏側はじつは黒いとか、そんなことありませんかね」
「とりあえず今みえた範囲は白かったぞ」
晴れた空の下で川の水は低く、澄んでいる。浅瀬の小石を流れている様子が気持ちよさそうだ。歩くのも気持ちはいいが、どこまで行くつもりだろうか──と思った頃に次の橋がみえた。影に入ると急に涼しくなり、ぼくは自分が汗ばんでいたのに気づく。
「この辺がいいかな」と瀬川がいった。「座りましょう」
大雨で水があがれば、橋の下のブロックはきっと川の底になるのだろう。今はゴミも土もなく、座るにはちょうどいい。虫取り網のようなものをかついだ子供がバシャバシャしぶきをあげながら浅瀬を歩いて行った。すこし羨ましい気分で眺めているぼくの横で、瀬川はガサガサ音を立てながら経木のつつみを開けている。茶色がかった葉っぱにくるまれた白い餅がならんでいる。
「はい、今日のおやつ。お茶飲みますか?」
かしわもち。
ぼくはひとつもらって、お茶ももらう。瀬川はぼくが飲んだ後に口をつける。食べられない葉っぱをむいて、白いもちの中にはさらにこしあん。うまい。
瀬川がもぐもぐさせながらいった。
「先生、知ってました? かしわもちって、川向いて食べると縁起がいいんですよ」
「適当にいうな」ぼくは吹きだした。「騙されないぞ。落語じゃあるまいし」
瀬川はふふふっと笑い、ぼくは葉っぱだけを経木に戻した。さっきの子供が戻ってきて、ぼくらのすぐ前で網を水にひたし、別の子供が追いついて、網の中をのぞきこむ。黄色い花びらが風に流れ、水の上にぽとりとおちた。
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