社会人・年中行事編 1月・お年玉

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社会人・年中行事編 1月・お年玉

「どうして二十歳すぎたらお年玉、貰えないんですか?」と瀬川がいった。 「あきらめろ」ぼくは先回りして答えた。「何も出ないぞ」 「おれは単に疑問をいっただけです。ねだってませんよ」 「嘘つけ。何か出てくるかもしれないと思ったくせに」  網の上の餅がぷうっと膨らんだ。ぼくは薄い焦げ目を愛でながら慎重にひっくりかえし、ついでにたずねた。 「瀬川君。きみの餅はいくつだ」 「ひとつで」 「二十歳すぎてお年玉をほしがっている男にしては謙虚だな」 「焼きたてを食べたいんで。ふたつめは先生が焼いてくれるのを待ちます」 「自分で焼いてもいいんだぞ」 「でも、ここは先生のうちだし」 「我が物顔で居座っているくせによくいうよ」  ぼくは餅が膨らみすぎないよう、網を横目でにらみながら海苔と醤油を用意する。膨らんだ皮が破れる直前で皿にとり、醤油をさして海苔で巻く。小皿にのせたとたん、横から伸びた手にかっさらわれた。 「そんなことありませんよ」  瀬川はさっそく餅をかじった。 「週五でここにいる男にいわれたくないね」 「でも先生の家、大学に近いんですよ」 「大学へ行く用事なんてないだろう。春から就職のくせに」  ぼくは自分の餅をひとつ海苔で巻いた。もうひとつは湯にくぐらせてきな粉をまぶす。これも小皿に並べたとたんかっさらわれた。瀬川は茶の間のこたつ台へ皿を置くと、手慣れた物腰で急須に茶葉を入れる。 「そうなんですよ。就職したら週五じゃ来れないですよね……」  そういって瀬川は自分の餅の残りを三口でたいらげる。こたつに足をつっこんでぼくをみあげ、突然しんみりした口調になった。 「だからおれ、ちょっと考えたんですけど──」 「同居はなし」  ぼくもこたつに入りながら、また先回りした。 「きみはでかすぎるし、ここは狭すぎる」 「狭かないですよ。おれ、週五でここにいるんですから」 「週七は狭い」 「そんなあ」  瀬川は一度情けない声をあげたものの、すぐに表情を戻した。 「先生は絶対そういうと思ったんですよ。それでおれ、考えたんですが」 「二階の空き部屋ならもう決まったよ」 「え、そうなんですか?」 「年末に下見に来て即決だそうだ」  ぼくの住居の上は1DKのアパートが四部屋だ。角の一部屋をのぞき全部住人がいたが、このほど最後の部屋も埋まったらしい。 「だから実質的な同居をねらっていても、それも無理──」  ぼくはへらへらしている瀬川をみて黙った。 「何かたくらんでる?」 「借りたの、おれです」 「え?」 「ちょっと考えたっていったでしょ。これなら先生も文句、いえないし」 「瀬川君、あのね」 「おれ、狙ったら逃さないタイプなんで。先生には予備校のときからツバつけてたし、おれはもう立派な社会人ですからね」  ぼくはなんと返せばいいか、一瞬つまった。 「二十歳すぎてお年玉を欲しがってる瀬川君が立派な社会人とは、世も末だ」 「ええ? でも、おれがこうなれたのも先生のおかげですよ?」  こたつの下で瀬川の足が僕の膝をぐいっと押し、からんでくる。 「で、お年玉はどうなんです?」 「何も出ないって」 「ほんとに?」こたつの下で瀬川の足がまた動いた。 「おれにとってのお年玉はお金なんかじゃないです。先生の……ほら……」 「なんだ」 「エロい顔とか。おれもう二十歳すぎてますから」 「瀬川君」 「大人のお年玉ってそういうものですよね?」  ぼくは威厳を保とうと努力した。 「あまりねだると出るものも出なくなるぞ」 「大丈夫です。おれが出してあげます」 「瀬川君」 「先生」 「なんだ」 「新年早々ですけど、好きです」  そのときの瀬川は真顔で、ぼくはまた言葉につまって横を向いたが、こたつの下で彼の足はぼくの膝をがっちり抱えていた。
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