眠り姫

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 ふたりを迎え入れた女中頭のイザベル夫人は、瞳にいつもの覇気(はき)がなく、すっかり疲れ切った顔色をしていた。  もう子どもの頃のようにルネを邪険に扱ったりはしない。ルネが名門校リセ・ルイ=ル=グランに現れた天才少年だとパリで名を馳せるようになり、年相応の落ち着いた振る舞いをするようになるにつれ、イザベルの態度も変わった。 「……奥様はずっと、ルネさんをお待ちしておりましたよ」  イザベルはルネに(すが)るような視線を向けた。マリー=アンヌの寝室に案内したいというイザベルに、アンリはルネひとりだけを行かせた。  イザベルはルネを連れ、薄暗い廊下を歩いて行った。一番奥の扉の前で立ち止まると、奥様、ルネさんがいらっしゃいましたよ、と中に向かって声を張る。  そして静かにルネに向き直り、見たこともないほど深々と頭を下げた。 「どうぞ、奥様とごゆっくりお過ごしくださいませ」  イザベルは扉を押し開け、ルネを中に通すとふたたび扉を閉めた。  その部屋は、マリー=アンヌの好きな水色を基調に、美しく調(ととの)えられていた。  壁紙は淡い水色の小花柄、ジャカード織りのカーテンは瞳と同じブルーグレイで、優美な曲線を描くカウチソファもサックスブルーの布張りだった。  壁際のコンソールの上で、花瓶に生けられた真紅の秋薔薇がこぼれ落ちるように咲いていた。その隣には、主人が描いたと思われる春の女神フローラの絵画――それはとてもよくマリー=アンヌに似ていた。
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