眠り姫

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「――あのとき彼は、私に向かって誰か知らない女性の名を呼んだのよ。よく聞き取れなかったけれど、きっと別の人と間違えたのね。申し訳ありません、古い知り合いと後ろ姿がよく似ていたものだから、と彼は私に謝ったわ。  あの瞬間――きっと私は魔法にかけられてしまったのね。自分に頭を下げるその人から、目を離すことができなくなってしまったの。  透き通るように白い肌、彫像のような彫りの深い顔立ち、背が高く上品で、喋り方も身のこなしも、しっとりと露をはらむ夜風のようだった。そして白い仮面の奥から、サファイアのような瞳がちらりちらりと私を見るの。まるで愛しい人を見つめるような、熱を帯びた眼差しでね。だから私はすっかり自分が彼に愛されているような錯覚を起こして、落ち着かなきゃと思うのに胸の高鳴りが止まないのよ」  マリー=アンヌは懐かしさに目を細め、春風のように笑った。青白い頬にほんの少し紅がさしたように見えた。 「私たちは軽い会話を交わし、見知らぬ他人同士に戻るはずだった。でもね、私はそれで終わりにするのが嫌だったの。だから、女からそんなことを言うのははしたないとわかっていたのに、自分から彼に言ったのよ――またお会いできますか、ってね。  それから私たちは人目を忍んで会うようになった。会うのはいつも真夜中に、私の家だったわ。明かりを落として、薄暗い部屋の中でね。
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