新月と太陽

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「……愛人たちのところに行けないのなら、俺の血を飲みなよ」  ルネは自分の手首を主人の口元に押しつけた。  氷のように冷えたくちびるの感触。当然ルネの手首に噛みついたりしない。  ルネは苛々と立ち上がり、戸棚の引き出しを開けた。中からペーパーナイフを取り出し、ふたたび主人の前に座る。その刃先を、躊躇なく自分の手首に押し当てた。  (にぶ)い銀の光に、主人ははっと意識を取り戻した。即座にルネの手からナイフを奪い、力任せに放り投げる。  壁に当たったナイフが鋭い音を立て、床を滑った。 「……何の真似だ」  久々に聞く主人の声だった。見上げると、その瞳に冷たい怒りが滲んでいる。 「……いい加減にしろよ」  思い通りにならない主人の態度に、やり場のない苛立ちが募る。ルネは自分の手首を無理やり主人の口に押しつけた。 「飲めってば」  突き出されたルネの腕を、主人は乱暴に振り払った。  その瞬間、押し込めていた怒りが決壊した。 「そんなに別れが辛いなら、マリー=アンヌをヴァンピールにしておけばよかっただろ!」  獣のように(たけ)り、主人の胸ぐらに掴みかかる。胸の上に馬乗りになると、古いソファが悲鳴のような音を立てた。
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